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事件の真実
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年に1億円の収益のある私の会社がほしくて

私をヤクザや右翼を使って拘束し

脅して1億円の借用書を書かせて

私の自宅や私名義の会社、他の店舗にその借用書で

設定を打ち

何億もの財産を奪ったのは

松原市の指定業者をしている土師清掃親子です。

天罰を与えてください

自宅も会社も資産もすべて失いました。

拘束されている間に勝手に破産届けを出されて

無一文にされた私は戦うこともできませんでした。

こんなヤクザを松原市は使っていていいのでしょうか?

 土師親子の悪行↓

http://ameblo.jp/alta0857/entry-11928216377.html






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私は相手と同じタイプになり、戦うことを決めたのだった。


いい見本は目の前にいる。


私はシェイクハンド、相手はペンホルダーの表ソフトだが


とりあえずやってみた。


1-20で相手も少し気が緩んだのか3本連続で取れ


4-21 で1セット目は当然完敗。


付け焼刃なので最初はなかなかうまく行かない。


でも相手のサーブや攻撃を受けるからはらうということ


だけでも玉に少し威力がある性か一方的な展開では


なくなりつつあった。


1-4~ 2-8~ 4-11 と楽勝と思っていた相手は


少し荒くなった性か11-13まで詰め寄ったのだった。


そしてここで私の卓球人生で忘れられないことをしたのだった。


相手は冷静になりじっくり私のバックを3球連続で責め


そのあとに私のバックに強烈なスマッシュを放ったのだった。


私は必死に追いついたが普通に返せば体制が立て直せず


簡単に決められてしまう。


追いつくのが精一杯だったがサイドスピンをかけ天上に着く


ような高い玉で返すのだった。


しかしS渡選手は冷静にまたも私のバックに強烈なスマッシュ


を放つのだった。


またも私はおもいっきり追いついて先ほどと同じように


サイドスピンをかけ天上ロビングで返した・・・


先ほどと数分違わないので返した瞬間相手のコートに入る


ことは感じ取れたがそれだけでは絶対勝てない・・・


そのコンマ数秒の間に私の頭は膨大な情報を整理した。


相手は瓶底メガネで視界は狭いはずだ・・・


一世一代の大芝居を打つことにしたのだった。

 

私はやられたフリをする為に絶対に玉を目で追うことを

 

しないで、白鳥の湖を踊るがごとく手を広げて一回転

 

して魅せた。

 

やられた~というゼスチャーだ。

 

でもそれでは磐石とはいえないので本当は上空で

 

相手のコートに向かっている玉が、私が受け損ねて

 

転がった玉を取りに行くように見せかけたのだ。

 

化けもん相手に何でもアリじゃ~~~

 

相手の視界に玉が入らないように横にならんでいる

 

卓球台の向こう側でかがんで脇の間から相手の様子

 

をうかがった。

 

相手はこっちを見ながら暑いのかラケットで顔を扇いで



いた。

 



 

コーン!


相手の後ろに玉が入った。


私は思わずガッツポーズ  ( ̄+ー ̄)キラーン

 

( ^.^)ご( -.-)め( _ _)ん( -。-)ね だまして・・・

 

相手は何が起こったかすぐにはわからないようだった。


審判が「11-14」と言ったが私が「12-13だろ」と言った


ところでだまされたことに気がついたのだった。


ヽ(`Д´)ノ なんか冷静を装ってはいるが目が怒っていた。


相手はサーブをすると私の返球をすぐにスマッシュしてきたのだww


今までは数回バックを攻めてから決めてくるのにww


3球目攻撃はこの試合初めてのことだった。


キッカラコーン~♪

 

なんと1セット目散々決められたせいで私のフォアのきびしいコース


に打たれたスマッシュをまぐれで返したのだった Σ( ̄□ ̄|||)


当然カウンターで決まった・・・


私は考えた・・・


相手もまぐれだと思っている・・・各下だとも思っているので

 

絶対もう一度同じコースに3球目攻撃が来る・・・


私はフォアの攻撃を待っていると思われないようにバックに


来ると読んでるそぶりをしながらフォアの3球目に山を張った。


キッカラコーン~♪

 

またもカウンターで決まった。 (;゜△゜)ノ


次も3球目攻撃が来るがコースはバックしかなかった。


3回も同じコースに打って止められるとバカだ~♪って


思われるからだ。


私は今度はフォアで待ってるフリをしてバックのコースに集中


していた。


キッカラコーン~♪ 

 

3球連続でスマッシュをカウンターがえし~~~


相手にまぐれではないと思わせるには十分だった。


本当は山を張ってたまたま当たったに過ぎなかったのに・・


強打できなくなった相手はよく見たら少し下がったところで


構えていた。


恐くなって前で打てなくなったのだ・・


サイボーグが壊れたのだった。


2セット目を21-18で取った私は3セット目も21-15で


とり、勝ったのだった。


たくさんのギャラリーがこの試合を観ていた。


私は勝って当たり前のような平然を装っていたが


まわりは「嘘だろ~~~


\(ロ゜\)ここは何処? (/゜ロ)/ワタシは誰?


っていう感じだった~


まぁ 簡単に言えば相手が怒ってまぐれ3発くらって


壊れてしまったと言うことなんだけど


今までしてきた努力、練習は無駄ではなかった。


努力は決して自分を裏切らない


そしてあきらめていては奇蹟は起きないと言うことだ。


ペタしてね

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まぁ このところ本題からはなれちゃってますが


卓球ネタがでてきたので どうしても忘れられない1試合を


でも卓球してた人にはかなり面白いと思うんだけど


知らない人にはどうかな・・・


これは高三のときの公式戦での話です。


当時は私はなんとか外シードにはなっていますが


参加選手が多いので2000人の中で32人がシードに


なっていました。


私はなんとか無難にも4試合をこなし5試合目の相手は


全然知らない選手なのにめちゃ強い選手がいるな~


なんでこんなところに入ってるんだろ~という印象でした。


4回戦で難なく倒した相手とその選手が話してるのが聞こえました。


「勝てそうか?」と聞かれて「大丈夫や。」と答えてるではありませんかww


そりゃ他のシード選手に比べれば見劣りするかもしれませんが


それでも私はシード選手ですので「なめやがって~ みんなの前で

 

恥かかしたるぞ~~この瓶底メガネやろ~が~。」 (ノ-_-)ノ ~┻━┻ ☆`


と思ったのでした。


千里高校のS渡選手か~まぁ覚えるほどでもないが^^と


甘くみていたのでした。


相手は苦手な表ソフト(ラバー)で私の得意なサーブが


効きにくいのですがシードの意地をみせちゃろ~~と思ったのでした。


インターハイの選手が引っ越して大阪に来たという噂もありましたが


地方のゆるいとこの選手になめられてたまるか~と思ったのでした。


試合が始まると短いサーブを出してきてリターンすると私のバックに


払ってきて、それをリターンすると左右のきびしいコースにスマッシュww


まるでサイボーグのように決めてきますww


こっちは大阪で1~2のサーブ力と自負していたのでいろいろ変化球


サーブを出しますが全然通用しませんww


1球もサーブが効かない事は初めてでしたww


最初に私の苦し紛れの打ち込みがネットインしたラッキー点1点のみで


1-4~~1-9~~1-14~~と進んでいきます。


私は相手が決めたスマッシュをひらいに行くばかりですww


あきらめたらそこで試合終了といいますが^^;さすがに気持ちが折れそうで


「これは練習と思うことにしよう。」と自分に言い聞かせて


玉ひろいをするのが精一杯の私でした。


そして1-20で相手のマッチポイントになりました。


今まで中学、高校とやってきてこんな点数初めてだと思いましたww

 

ましてこっちはシード選手ww

 

はずかしくて逃げ出したい心境でした

 

シードなのにボロボロにやられてるので注目度抜群でしたww


私の必殺壁も魔球も何もかも全然通用しませんww


すべての武器を失った私は竹やりでマシンガンとやりあってる様な


心境です  (・:゚д゚:・)ハァハァ

 

「こりゃ力の差がありすぎるww。間違っても勝てないだろうけど


せめてもう少しましな点数で負けたいよな~。」と思うのでした。


でも、私はサーブで相手に受けさせて返って来た玉を決めるのが


私の持ち味だが・・すべてはらわれて私が受身になり、相手に決め


られる。


点数からもわかるように私にまったくかみ合わないタイプの選手だ。


私は玉を拾いに行きながらいろいろ考えた。


でも、私のすべての攻撃パターンが役に立たないww


私は相手の攻撃に魅了されていた。


付け刃ではあるが私も相手と同じタイプで戦おう。


無理はあるが自分も今までイヤと言うほど基本練習はして来たつもりだ。


同じタイプで戦っても相手に勝るものなどないが


このまま一方的にやられるよりはましじゃないかと思うのだった。


②に続く・・・

ペタしてね



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私は中学、高校とくに高校時代はあるスポーツに全力で


取り組んでいました。


何をするにもあのときの情熱があればできないことなんて


ないと思っていましたから。


スポーツと言ってもわりとマイナーなもので卓球していたって


自分からは言うことはほとんどありません。


でも、みんながイメージするものとは想像できないものだと


思うんです。


最初は友達が卓球部に入ろうと言われ、私はバスケットに


ということでじゃんけんで私が負けて卓球になったのですが


まぁがんばったので中学の学校では私は一番強かったと


思うのですが、映画が好きで日曜日には映画に行くことが


多かったこと、夏休みや冬休みは家の仕事を手伝う為に


クラブを休むことが多かったことから公式戦に出してもらえ


なかったことで、高校ではおもいっきりやりたいので家の


手伝いはないようにしてくれと親に頼み、がんばりました。


当時、大阪は近畿大学付属高校と興国高校が強く、全国


大会で近高が2位、興国3位とまさに激戦地でした。


そして1年の新人戦。


各校2名が出るのですがその4回戦で第一シードの近高の


●田選手と当たりました。


私は信じられないことに無名でも自分が負けるとは思って


いなかったので相手が誰でも上がることはありませんでし


たが、21-9、21-11とストレートで負けてしまいました。


そしてその選手は優勝しましたが、私は自分よりも強い


人を許せなかったのでした。


ほかにも強い選手はいっぱいいるのでしょうがわたしには


●田選手しかみえていませんでした。


その日からどうやったら●田選手に勝てるかと言うことを


考えました。


相手はレシーブがうまいのでチャンスボールをつくる。


私の結論としてはどんな攻撃も通さない鉄壁の守備力、


そして少ないチャンスを一発で決める攻撃を身につける


と言うことになりました。


そして接戦になれば最後で魔球で勝てるという結論に


なったのでした。


相手がスマッシュを打つときは目線を下げてコースを線で


追い瞬間に反応してスマッシュを取る練習をしました。


そして攻撃では相手のレシーブした玉を頂点で捕らえる


頂点ドライブをバックストレートに決める練習をしたのでした。


バックストレートはコースが短いので難しいのですが


その分、決まりやすいのです。


そして数ヵ月後の次の試合で5回戦またしても●田選手


と当たったのでした。


私の作戦としては1セット目は相手の決まるコースをとく


みることでした。


そして2セット目にはなんとか16-19までは食らいつく、


そして魔球で甘く返って来た玉をスマッシュで5本とって


いただく、そして3セット目はこちらのサーブはすべて


魔球で全開でいただくということでした。


・・・・・


そして試合は始まりました。


1セット目は11-21でやられましたが2セット目


私の思惑通りに16-19となりました。


私はそれまで温存していた魔球で相手がうまく返せず


ゆるく高い返球を3連続スマッシュで19-19となりました。


相手の後ろには相手のチーム名との緑のユニフォーム


がいっぱいでした。


相手が有名なこともあってギャラリーもたくさんいました。


普通なら緊張するのでしょうが思惑通りに進んでいるので


笑みすらこぼれそうになっていました。


私のサーブであと2ポイントはいただきだな^^という感じで


した。


しかし・・ここでアクシデントが起こりました。


私の魔球は普通のサーブよりは高く上げて打つのですが


やや後ろに上がったのでサーブを打つと台の手前の角に


当たって高い弧を描いて相手のコートに入って行きました。


当然スマッシュを打たれると思い目線を下げて必殺の壁


で待ち受けたのです。


しかし・・・


玉が来ません・・・


? と思いながら目線を上げるとゆるい山なりの玉が私の


目の前を通っていくのです・・・


そうです


相手はあがっていたのか高い玉というのにスマッシュを打てず


返すのが精一杯だったのです。


想定外の出来事に私は反応できずにチャンスボールを見送って


しまったのです・・・


会場は爆笑に包まれました。


そして私は恥ずかしくて動揺してしまいました。


次のサーブも恐くて思いっきり回転をかけることができずに


中途半端なサーブで簡単に受けられてやられてしまいました。


その大会も●田選手が優勝しました。


今度こそという私の挑戦は続くのでした。


体を鍛え、夜は社会人の練習に参加しました。


上を目指せば目指すほど分かり合える仲間も増え


面白くなっていくものです。


高校時代をすべて注いだのですが上の大会にはいけません


でした。


しかし、精一杯やったので後悔はなくむしろ充実感でいっぱい


でした。


結果がすべてでだめじゃないかと言われるかもしれませんが


後悔しないことが結果だと思うのです。


そして


その時の情熱があればできないことなどないと思い


どんなことにも立ち向かえる自分ができたのです。


何かに打ち込むと言うのはそれがどんなことでも


大事なことで、きっとその人の自信や財産になると思います。


私はスポーツでも遊びでも1番を目指してしまう


そんな人種なのです。


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高校時代の同窓会で私は行けなかったのだがそこに行った

親友のYが「N樹が私に世話になったので会いたかった。」と

言っていた。

N樹は私が持っていた不良という概念を根底から変える奴だ

った。

そもそも不良ってなんなんだろう。

パーマをかけているから・・

タバコを吸うから・・・

悪そうだから・・・

けんかをするから・・・

でも高校3年のクラスの不良と言われる奴らは俺よりもよっぽど

真剣に生きていた。

ある日、N樹がわたしに話しかけてきた。

「勉強を教えてほしいんだけど・・・。」  オオオオォ……(ノ゚ο゚)ノミ(ノ _ _)ノコケッ!!

私はクラスでそんな賢いほうではないのに何故~とおもったが

話を聞いてみると欠点が7科目あり、期末試験で挽回できず

3科目以上だったら学校を辞めるということだった。

見るからに悪中のワルという印象のN樹が人に物を頼むか?

私がバイクに乗っているから私もワルなのか?・・・

私はクラブの早朝練習が5時45分からだから

9時にN樹の家に行って深夜12時ぐらいまで教えて・・

寝る時間が少ないぞ~~~

(教えてと言っても私が得意なのは数学ぐらいであとはグタグタだ)

N樹は「もし勉強しても欠点が3つ以上だったらお前の単車くれるか。」

と言ってきた。

なんてこというんだ~~~

カワサキRS400高いんだぞ~と思ったが中間試験の結果を聞いた。

∑( ̄[] ̄;)!ホエー!!

7科目のうち1点台が3科目もある~~~でも私は

「わかったからそのかわり真剣に勉強しろよ~。」と言ったのだった。

その日から1ヶ月ぐらいだったかN樹の家にバイクで通うのだった。

私は勉強しない人だったのでけっこう新鮮だった。

行ってみて知ったのだがN樹はギターがめちゃくちゃうまかった。

私は勉強を教える代わりにギターをおしえてもらうことになった。

勉強2時間、ギター30分と言う感じだった。

私はN樹の家に行くのが本当に楽しかった.

私は寝る時間が短くなって授業中寝ることが多くなったが

N樹に「俺寝るから授業聞いてノートとっといてくれ。」という

こともたびたびあった。

そして期末試験の結果は・・

N樹が7科目すべて挽回して欠点0 (ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-

「俺体育以外で7(10段階評価)取ったの初めてだ。」と喜んだ。

3つぐらい7になっていたと思う。

「お前も上がっただろ。」と聞かれ「ああ・・・。」と答えたが

実際は寝不足で授業中寝たのが効いたのか下がった^^;

でも私はもともと学校の成績などどうでもいいと思っていたので

なんとも思ってなかったのだ。

欠点さえとらなければなんともないのだ^^

こちらこそN樹のおかげでギターを弾けるようになったおかげで

クラブから帰ってきたら2時間はギターを弾いた。

私の世界はN樹のおかげで広がったのだ~

そもそもN樹は不良なのか?

喧嘩してるとこみたことないし・・・

まぁ見た目危なそうなのでそこまでいかないのかもしれない・・・

タバコを吸っている・・N樹が言うに「親にすねかじってる奴が悪いと

は思わないがそいつらに自分で稼いでタバコを吸ってる俺を批難

される覚えはない。」

たしかに・・・

だが話はここでは終わらなかった。

私が大学1年の時にN樹から電話があったので行ってみた。

「交通局に入りたいので勉強を教えてくれ。」と言うのだった。

N樹の親父さんが交通局で働いていることと、私が高校の時に

国家公務員行政の試験に通ったこともあった。

新設高だったので賢いとは言えず200人受けて2人しか通らな

かった。

たしかすし屋に就職したような記憶があったが喧嘩してやめた

ようだった。

そして半年間教えることになった。

お金なんか要らなかったが「月1万円しか払えないけどそれでなんとか。」

という真剣な表情だったのでいただくことにした。

私は傾向を調べ「国語の四字熟語やそのほかは自分で勉強しろ

数学はばっちり教える。」といった。

そして半年も過ぎようとしたある日、数学を教えていた時に

微分積分の問題をN樹が瞬時に解いたときに私はすぐに解けなかった

ので驚いた。  オオーw(*゚o゚*)w

こいつ・・できる・・・

そして無事就職試験に受かりいまでは交通局のえらいさんだそうだ^^

不良と言う定義は何なんだ?

俺が知ってる世間で不良と言われている奴はみんなしっかりした

生き方を持っていた。

いい思い出だった。

少し不良っぽい想い出はN樹に誘われて生まれて初めて授業を

さぼりお好み焼きをおごってもらったことぐらいか^^

うまかった^^

でも見た目とは大違いで最高にいい奴だった^^

世話になった?

むしろ世話になったのは俺のほうだ。

俺の世界を広げてくれて ありがとうN樹!


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流通業界に30数年携わってきた中で起こった事件をつづっています。10数年前に事件に巻き込まれた際、「真相さん」という2ちゃんねるのスレのなかで多くの支援者に支えられ、立ち直れたことに感謝の意を唱えます。
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