創業時にはお金がないため倉庫物件を借りてスーパーを作るという
計画だったのですが、なかなか困難な道のりでした。
半年間働いて、後の半年は●王寺まで電車で行き、歩いて帰って
くる道で、ふさわしい物件がないか探すのでした。
毎日30キロ以上歩きました。
靴は1ヶ月でボロボロになりました。
帰る途中で不動産屋があれば寄り、物件がないか聞いて回るという
感じでした。
しかし、当時は私は25歳でヤンキーっぽかったのでなかなか相手に
してくれませんでした。
喫茶店でバイトをしていた時に知り合った喫茶店のチェーン店の元
社員とそのチェーン店で店長をしていたKさんはスーパーが出来た時
にいっしょに働けるようにスーパーで修行していました。
今思えば、風体も良くないし、お金も持っていない私が店を作ることが
出来ると思っていたのが不思議でなりませんが、Kさんなどは子供が
2人もいたので今思えば本当に冒険だったと思います。
事を起こすには人、物、金が必要ですが本当に無謀な賭けだったと
思います。
私の計画では親父が青果業をしていたのですが、うまくいかなくなっ
て廃業し、借金があるので家は持ち家でしたがそのままではなくな
るので親父の借金は私が返すので家を担保に勝負を賭けるというも
のだったのです。
家を担保にお金を借りたとしても1000万円ぐらいでその予算で
店を作るという無謀な計画でした。
スーパーができる物件といってもマンションの1階の店舗物件では
なかなか100坪の物件はありませんし、あっても保証金がないの
で予算でできるのは倉庫物件しかないとおもいました。
●東建託の本社に行き、そこは倉庫物件を扱っているので、そこで
全部の物件を見せてもらいました。
こちらの要望としては建坪が100坪の物件を探していました。
売り場面積を60坪としてあとはバックヤードという感じで考えていま
した。
それが最低限、店をするのに必要な大きさだったのです。
市条例の要項で市によってちがうのですが、大体は売り場面積が
200平米までが話し合いをしなくても出店できる大きさだったので
す。
当時は市の調整といっても市場や商店会の反対が割と多かった
ので、それらを避けるためには売り場面積60坪がベターな選択
でした。
●東建託の物件で要望に合った物件は100物件ほどありました。
それらの中から出来そうな物件が10物件ほどでした。
それらを見て回り、4物件ほどが私の要望に該当していたのです。
そうこうしている時にわたしがスーパーの物件を探しているという
噂を聞いてKパンの開発化の担当者が私を訪ねてきました。
そしてその担当者は車に私を乗せていろいろ出来そうな物件に
連れて行ってくれたのです。
M市の不動産屋にも私を紹介し、Kパンの担当者は私を信頼できる
人ですと強く押してくれました。
そしてその不動産屋から連絡があり出来そうな物件を紹介して
くれたのです。
その物件は私がしぼった4物件よりも良かったのは
私の実家に近いこと、
建坪が160坪近くあり将来売り場を広げることができること、
裏に駐車場が7台ぐらいあり、従業員の車を止めることができること、
産業地域なので道路の路肩が広く、お客さんの車が止めることがで
きること
私の大学の時の論文で地域開発という題材でその地域を調べた
ことがあり、将来的に開けることがわかっていること
それらの条件からこの物件に決めて交渉したのでした。
当時は周りが田んぼだらけで一見すればどうかなと思われるので
すが、私は直感的にここは行けると思ったのでした。
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