1号店オープン前日、鮮魚の職人を知り合いの肉屋の番頭さん
がなんとか間に合わせますと言ってくれたのですが、夕方にな
っても姿を現しませんでした。
肉屋の番頭さんは「大丈夫です。」と言うだけでこちらはただ
待つことしかできませんでした。
店舗の前にはオープンを反対している近所の活性化市場の
連中がたむろしていました。
隣のパン屋さんもその人たちにパンを振舞って応援していまし
た。
嫌がらせの電話も入ってきましたがそんなことは私にはたいした
問題ではありませんでした。
一番の問題は鮮魚の職人が決まらないと鮮魚なしでのオープン
になってしまうことでした。
そして7時になった時に裏口から肉屋の番頭さんが手配してくれ
ていた鮮魚の担当が来てくれたのです。
なんとアフロヘアーの●崎という人でした。
●崎さんは表で騒いでいる市場の人たちのところに顔をだして
「うるさいな~こいつら。」と言いました。
市場の連中は「ヤクザを雇ってるのか。」と口々に言いましたが
私は「お前らの方がよっぽどタチ悪いやろ。」と思ったのでした。
そして翌日無事オープンすることができたのです。
オープン初日は近隣の活性化市場の連中が「この店舗は違反店
です。」というマイク放送や中傷ビラで私が今まで携わった店の
中で最低の売上でしたが、オープンできたという安堵感で私自信
は嬉しい限りでした。
私たちは業務妨害する市場の連中に負けてはいけないので店内
放送で自分たちの正当性を訴えました。
お客さんたちは「人の妨害する前に自分たちの商売頑張ればいい
のに。」という声も上がっていました。
私は●崎という鮮魚の担当者に肉屋の番頭さんから給与は30万円
でと聞いているんですが税込での金額と思っているのですが手取り
という話で聞いていたらそれに従わなければいけないのでと聞きまし
た。
●崎さんは「オープンしたばかりで手取りで払っていたら続かんだろ、
税込でいいから。」と言われました。
●崎さんは毎月「今月粗利でいくらいる?」と聞いてきて私は「できれ
ば200万円。」と言いました。
売上が低いのにもかかわらずしっかり利益を上げてくれたのでした。
多少、お客さんに押し売りするところはありましたが、利益の中でしか
店は回っていかないので大いに助かったのでした。
当初2ヶ月は日商は80万円平均でしたが、閉店時間を7時から8時
にすることで100万円に乗ってきました。
そして半年で噂では150万円から200万円売れていると言われてい
ましたが130万円ぐらいで噂先行でした。
そしてしばらくして反対運動をしていた市場は潰れて日商が220万円
~230万円平均になっていきました。
年末に●崎さんの親が死にかけているということでお金を借りることは
できないかと尋ねられました。
私は銀行に交渉して私が保証人になることで200万円を借りられるよ
うに手配しました。
しかし、その1ヶ月後に●崎さんは姿を消したのでした。
H氏から「すぐ来い。」と連絡があった。
なんでも自分が呼んだらすぐに来ないと気がすまないH氏
にはほとほと参っていた。
行ってみるとそこにうちの会社の会計士がいた。
この会計士はうちの会社が資格を取るために勉強する時間
仕事ができなくても給与を払い、それで資格をとれた経理士
だった。
H氏が紹介してくれというので紹介したが、そのことでうちの
会社の内情も筒抜けになったのだった。
実際にそういうことは言ってはいけないのだが、言わないわけ
にはいかないのがH氏であった。
そして私に「チラシにお金かけすぎなんじゃ~週1回にしとけ。」
と言うのだった。
チラシ代はたしかにお金がかかる。
でもチェーン店でチラシの片面を合同にしている分安くなって
いると説明したが話を聞かない。
私の会社なので「そんなことこっちの勝手だ。」と言いたいが
本店の家主が破産しそうな時に7000万円借りて、返していって
はいるがあと1500万円残っていたので無視はできなかった。
Oー157の貝割れ事件で養老院で死人が出て、その貝割れを
売った店ということで大型店舗のHヶ丘店の売り上げが下がり
Hヶ丘店の赤字が続いているのが問題でもあった。
しかたなく、チラシを週1回に変えて1ヶ月が立った。
全店売上が5000万円以上さがり、余計に厳しくなったのだった。
チラシ屋を辞めた従業員を雇い、印刷機を2台買って自社で
チラシを週1回分作って行くことにした。
H氏にはそれらの経費は各テナントが週2回に戻してくれという
ので各テナントからチラシ代を徴収していると説明した。
実際は嘘なのだが、そのままでいくと売上が下がり続ける
可能性もあったのだった。
H氏は経費を抑えることを自慢する金持ちだ。
金持ちというのはお金を貯めるのが目的で、出費をおさえること
が美徳のようなところがあるのだ。
でも商才があるとは言えない。
スーパーというのは戦争のようなもので市民の消費するお金
を取り合っているようなものだ。
こちらが減ればどこかが増える。
売上が落ちると商品の回転率が落ちて生鮮の鮮度も下がる。
売上が上がるといい方向に回るが、下がると悪い方向にいく
のがスーパーなのだ。
そのときはH氏は素人なりに私の会社の為を思って言っている
のだと思っていたが、それまで起こったいろんなことを考え
るとそうではないような気がしていたのだった。
会社を創業して2店舗になった時に菓子の納品業者の担当
から、店舗展開しているスーパーはセンターフィー(センター
管理費)をとっていると聞いたのだった。
%は売上の1%だけど通常の営業以外で何もしなくて1%
が入ってくるのは大きかった。
私はチラシに載せる商材などを本部で一括商談するので
その部署の経費のためにセンターフィーを設けることを各
納品業者に伝えてその交渉にあたった。
そして大手食品会社と生鮮部門は無理だったが、それ以外の
納品業者からは請求書の支払い段階で請求書引きすること
で話はついたのだった。
単純に年商が20億だと1%で2000万円だけど大手や生鮮
を外すと1000万円がセンターフィーとなった。
5年後には年商50億前後になりセンターフィーも3000万円
近くになった。
私の功績と言えるのは、発注システム収益が年に3000万円
センターフィーが3000万円弱で、Hヶ丘店での自社物流で食品
などで店内の6割の商品を特売で仕入れて各店舗に分ける
仕組みで4000万円弱の仕組みを作ったことが大きかった。
わたしの年収の何倍もの利益を生んだのだった。
私は運営していく上で失敗もあるがそれらを大きく上回る仕組み
を作っていたので少々の失敗は気にしなかったのだ。
従業員は自分たちが頑張って収益を上げて会社を大きくして
行っていると思っている人もいたが、実際は仕組みの上での
収益で店舗展開していくのだった。
毎月の店長会議で各店舗の利益を各店長が掴んでいるはずな
のだけど分かっていない店長も多くいたということは否めなかった
のだ。
会社に必要だったのは会社の立場で考えて行ってくれる幹部
だった。
ある程度の会社を育てるのはワンマンな社長でもいいがある程度
の規模になってくるとそういう人材が重要になってくる。
私は最初に会社を立ち上げた時の従業員をすべて店長とかに
していっていい給与を払えるようにしていきたいとおもっていたが
給与に見合うだけの能力を身に付けようと思った社員が多く
いただろうか?
実際は分不相応な給与を当たり前とおもう社員が多かったもの
事実でそのようにした会社にも責任があると思ったのだった。
私は会社の転換期に来ているとおもえるのだった。
創業して10年たったころだった。
従業員募集で青果の担当者を募集したところ3人の応募
があり面接することとなった。
一人は同じ地域に展開しているスーパー●マモトからの
転職だったが、言葉遣いが悪く「まぁあそこの社員はこんな
もんだな。」とおもった。
自信はあるようだったがいろいろ質問したら答えるのが
めんどくさそうな仕草をしたので×にした。
そしてあとの2人のうちの一人が私のいとこのスーパー
●ルヒからの転職だった。
わたしは「私と●ルヒの関係は知っているね、会社を創業
するときに昔一緒に働いていた人が辞めると聞いたので
誘ったんだけどそのときに引き抜いたと言われたんだよ。
いくら説明しても【俺も同じような事してきたから】と言って
話にならなかったんだ。
こっちに文句を言う前に何故やめたかを考えて欲しいものだ。
私は働いている人が辞めるのは賢いから辞めると思う。
合わない職場に我慢して働くのは時間の無駄だと思うから
賢い人はやめる。
だから辞めた人に根性がないとか思う前に自分のところに
原因がないか考えて欲しいものだ。」と言った。
そして「こちらも引き抜いたと思われたりするのは嫌だから
一度どこかに働いてからこちらに来るとかできないの?。」
と聞いてみた。
だが違うところで無駄な時間を使いたくないということだった。
私は「どうしてやめたの?。」と聞いた。
そのM川さんは「●ルヒの本店の周りに大型スーパーができて
本店は売り上げが落ちていったんです。
そして●ルヒの社長からそこの青果の担当になることを言われ
【これからどのようにこの店の売り上げが落ちていくかよく観て
おけ】と言われたんです。
自分は売り上げが落ちていっているがなんとか君の力で盛
りかえして行ってくれとか言われたらやる気になりますが、
落ちていくのを観ておけなんて言われたらやる気になりません。
だからそういう風に言うところでは働けないと思いました。」と
いうことだった。
私は何故そんなやる気が失せるようなことを言うのかと思った。
社長というのは会社そのものだ。
従業員に希望をあたえるような魅力ある会社にしなくてはいけない
責任もあると思う。
私は一応親戚の会社からの転職はタブーなんだけど原因は
社長にあると思ったので雇うことにしたのだった。
このM川社員は実際に青果の担当者として力があるいい社員
だった。
いい社員に育ってもやめないように魅力ある会社にしたらいいのに
なぁ~と思うのだった。
わたしも実は●ルヒで働いている時に「この業界は朝早く、終わる
のも遅いのは当たり前で、みんな解って働いている。」と社長が
私に行った時に「きょうび、そんな考えでは人は続かないので
どうやったら改善できるかを考えるのがあなたの役目だろう。」
と思ったものだった。
そしてスーパーの前で店頭販売でたこ焼きなどの業者がくるのを
自社でやっていこうと考えた社長がその担当に私をしようとした
のだった。
私がスーパーを自分ですることができるように勉強に来ているのを
知っているのに配慮もない社長に嫌気がさして1年でやめたのだっ
た。
だけど●ルヒの社長はいいことも言っていた。
「従業員と社長は決して交わらない平行線だ。」と言われたことがあ
った。
私は「それならできるだけ近い平行線でありたいと思った。」
でもそれはそれでいいのだけど、決して交わらないということが
分かるまでに5年かかったのだった。
従業員の要望をなんでも聞いてあげる会社がいい会社とは言えない。
人の願望には限界がなく、会社はできるだけのことをしていても
いつも間にかそれが当たり前のように思えてくるのである。
当初、交通費は車で出勤している社員にはガソリンスタンドの
カードを渡していくらでも入れることができるようにしていた。
しかし、経理の報告で必要以上にかかっていることが分かり
カードを廃止し、距離をリッター7キロ換算で交通費を割り出し
払うことになったのだった。
その時に私の次の役職の部長が「けちくさ。」と言ったのだった。
S岩部長は会社の立場で話ができない社員だった。
私の中で重要な社員とそうでない社員が分かれていくように
なっていったのだった。
納品業はなんとかなったが肝心の精肉、鮮魚が決まっていなかった。
私はレジ会社の●ラオカに肉の業者を何社か紹介してもらうことに
なった。
最初にいった卸でしられた肉屋で私は強気で話をした。
私の条件はレジ通過料が光熱費込みで8%で保証金が500万円
だった。
しかし、保証金に折り合いがつかなかった。
普通は反対に貰ってもいいほどで払えてもせいぜい80万円だと
言われたのだった。
私ははっきり言って資金不足で保証金で補うしかないので、どう
してもその金額では折り合いをつけることができなかったのだ。
そして次に連れて行ってもらったところが、●田総本店というところ
だった。
私は「最初だからレジ通過料が8%で行きますが次はこの条件
ではできませんよ。
それに店舗にはかなり資金もかかるので保証金も500万円で
お願いしたいのです。」と言った。
そこの部長が「最初はレジ通過料を5%で行くことはできないですか?
。」と言ったが、社長が「光熱費込みだぞ!。」と部長に言ったのだっ
た。
私は運営するのにどれぐらい経費がかかっているのかわかって
いる人だなぁと思ったのだった。
でもそれは実際に店舗を1店舗運営していたからだった。
そしてその条件で入ってくれることが決まったのだった。
しかし、鮮魚は保証金を払ってまで入ってくれるところがなく
最後まで決まらなかったのだった。
そして昔少し関わりのあった肉屋の知り合いがオープン前日に
連れてきてくれて鮮魚は直営ですることに決まったのだった。
当然、鮮魚の仕入先も前日の夕方に来てもらい、幾分か
納品してくれたが、鮮魚の仕入先6社の担当者が集まって
私のところに来たのだった。
仕入れを現金でして欲しいということだった。
私は「私はたしかにお金を持ってるわけじゃないので皆さんの
言うことはわかります。表では反対運動をされていてそれで
不安になってる業者さんもいる。
でもわたしもリスクを背負ってやっていく、私のリスクに比べたら
あなた方のリスクはそれほどではないでしょう。
それぐらいのリスクを背負えないという取引先だったら納品
していただかなくて結構です。」
お金を持っていない私にすればかなり強気の発言だった。
しかし、それを聞いた鮮魚の仕入先は「わかりました、納品
させていただきます。」と言ってくれたのだった。
そして親父の仕入れの日払いで電話が毎日かかってきていた
鮮魚の小売問屋にオープン初日に私は行った。
そしてその時残っていた現金が120万円だったので親父の
そこの借金と同じ額だったのだった。
私はそこで「長いあいだ親父が迷惑をかけてすいませんでした。
わたしもこれから商売をしていくので親父の借金をそのままには
できませんのでこさせていただきました。
ここにおたくの支払い金額の120万円があります。しかしこれから
商売をしていくのに全額払うと仕入れするお金がなくなります。
できましたら半分の60万円を払わせていただいて残りは毎月
月末に10万円ずつ6回払いにしていただきませんか?。」と
頭を下げて頼んだのだった。
そしてなんとか了承してもらったのだった。
正直、最初から株式会社だったが当時は500万円を銀行に
10日ぐらい預けて保管証明をもらわなくては株式会社は
作れなかった。
ないことを会計事務所の所長に言うと保管証明のお金を
立て替えてあずけてくださったのでなんとか株式会社で会社
を当初から作ることができたのだった。
強気の交渉で乗り切っていったのだったが、みんなの協力で
なんとかオープンまでこぎつけたのは言うまでもなかったのだ
った。
たくさんの人たちに支えられて店をオープンすることができた
ことは決して忘れてはいけないことだと心に刻んだのだった。
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