ボーナス
会社設立、近隣の市場の出店反対運動、開業資金問題、
社員集め、納品業者集め様々な問題をクリアし、十二指腸
潰瘍で入院したりはしましたがその後は何の問題もなく毎
日を過ごしていました。
12月になり、当然最初の年はさして資金もなく開業し、初期
投資があるために2千万円近くの赤字は間違いありませんで
したが、平均売り上げが150万円ぐらいになっていたので何
とかやっていけてました。
一番資金が少ないときが300~400万円ぐらいでした。
社員みんなががんばってくれて、何とかここまで来られたので
何とかして賞与を払いたいと思いました。
友達の経理氏に相談しましたが「せっかくここまで来てつぶれ
たらどうするの、俺は反対だ」と言われました。
私は「運良くここまでやってこれたと思う。
でもみんなもほんとによくついてきてくれた。
なんとか払おうよ。」と言うと、経理は「あくまで社長がやってる
んだから払うのも払わないのも社長の勝手だけど俺は責任は
もたないよ」と言われました。
私は、次の日に会社の予定表のホワイトボードにナスに棒を
刺した絵を20日の日に描きました。
社員に「これ何?」ときかれ、私は「ナスに棒を刺した絵・・わか
らない。ボーナス。」と言いました。
社員たちは「ほんまかいな。」とうれしそうな顔をしました。
「今時、こんな絵かかんで。」とも言いました。
1人の社員が「大丈夫?ボーナスだしてつぶれたらしゃれなら
んで?」と言いました。
「そんなにたくさんは出せないかもしれないけど、どうなるかもわ
からんのにみんながんばってくれたから。
それにボーナスだしてつぶれたら俺もそれまでだったとあきらめ
てもらうし。」と私が言うとみんなにやる気がみなぎっていくように
思えた。
でも実際、資金が少し余っていたのは入院しているときにテナン
トの肉屋の支払いを2回分(20日分300万円)払い忘れていて、
肉屋も入院している私に支払いのことは言えなかったということ
だった。
忘れてると言うことはなんと幸せなことだろうと思った。
そしてこの年明けに危うく残高2万円になって死にそうな想いを
するのだった。
一年目の通説
青果担当のYはボーナスをもらったことを親に言ったら「だせない
状況で出してくれたんだから一生ついてけと言われた。」と私に
言った。
出した甲斐があったと思いYに「この状況でボーナス出せるのは
日本広しといえど俺ぐらいやで。」
「一つ間違えば馬鹿やけどな。」といって一緒に笑った。
最初の年の年末は売れないという通説が業界にはあった。
今まで年末は何処で買うと決めてる人が多いからだ。
しかしこのY社員は自信をもって買いまくった。
大丈夫かなと私も思ったが「消極的な失敗よりも積極的な失敗な
らええやろ。」と応援した。
結果は青果担当Yのノルマは粗利益200万円だが実際は17万
円だった。
Yは社員みんなの前で「正月も1人で店の前で野菜を売る。」と言
った。
私はみんなに「何が起こるかは問題じゃない。どう対処するかが
問題だ。」と言った。
この言葉は私が洋画マイウェイのなかに出てくる言葉でもっとも
印象に残っている言葉だった。
そして私は続けていった。
「我が社にはもう一つ社訓がある。
一度しか言わないし、むずかしい言葉だからよく聞いてほしい。」
と言うとみんなだまって静かになった。
私は言った。「すんだことは忘れよ。」
みんなはどっと笑った。私もうけたのは大いに満足だった。
Y社員は「ほんとにそれでいいの。」ときいてきたので、「まだ会社
が小さいうちの失敗だからいまのうちに経験しとくほうがいいだろ。
大きくなったときの失敗はこれではきかんやろ。」と私が言うと少し
安心したようだった。
私は続けて「それにもしYが1人で売ると言って実際にしたら俺もほ
っとけないし、他の社員も同じかもしれないぞ。
やっぱり正月は休みたいもんな。」「それに正月は俺のファンの女の
子と遊びまくらないといけないし」と言うと部長が「それが本音やろ。」
と言った。
みんなは部長の一言で笑った。
でも私はおいしいところを部長に持っていかれ不満足だった。
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