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事件の真実
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今までは店のこと、私のことなどを話してきましたが、ここ

にはどうしてどうなるかわからないような会社に4人の社員

を集められたのかを書きたいと思います。

K主任編
以前に述べたことがあると思いますが、私は店をする前は

喫茶店のチェーン店Cで働いていました。

Cは賢いと言う意味なんですが、あまり賢いのはいないよ

うに思えました。

当然、社員ではなくバイトで何度も店を変わりました。
そのチェーン店
の最初の店でおとなしい私が店長ともめ?

そのチェーン店では働きづらくなっていたのですがA駅地下

店の店長が「ここならわからんだろう」といって拾ってくださ

いました。

その店の次の店長がK主任でした。

K主任が店長のころ、私はチェーン店CのNNタウン店にいま

した。
なんなんタウンの店は閉店が通常は夜8時まででした。
私はA駅地下店にはお気に入りのNさんがアルバイトで働い

ていたため、NNタウン店はいつも7時半にしめ、8時に閉まる

A駅地下店に速攻で行き、Nさんと
一緒に帰りたいために従業員3~4人を車で送ってました。
そのなかにK主任もいたのでした。
私はスーパーで働きだしたときもよくA駅地下のC店に行き、

店長のKに夢を語っていたのでした。
K店長は何を思ったか「俺もその話しに乗りたい。」と言い、

どうしたらいいか聞いてきました。
その時私は、あるスーパーで店長をしてくれと言われていた

ので「店を作るまで一緒に働きますか。」と誘いました。
その時に、同じA駅地下店の社員C(店をするときには家庭

の事情で参加はできませんでした)も同じように私の夢に乗

せられて参加する事になっていたため、K店長も乗って来ま

した。
そして店ができるまでスーパーのことを覚えるために私の指

示でいろんな店で働いたのです。

K主任は当時子供が3人にて4人目も奥さんのお腹の中に

いました。

相当覚悟がいったと思います。
まぁ店は必ずできると思っていた脳天気な私はそのことをあ

まり深く考えていませんでしたが、途中物件がみつからず、

何度も「もう無理かな。」と思いましたが、そのたびにたくさん

の家族をかかえて私の夢に参加してきたK主任のことを考え

ると、「もうすこしがんばってみよう。」と思ったことも事実でし

た。
きっとK主任が参加しなければあきらめていたでしょう。

それほど店舗探しはむずかしいものでした。
できるかどうかもわからない、普通に考えればできっこないよ

うな夢にたくさんの家族をかかえて、よく話しに乗ってきたなぁ

と社員はみんな思っていました。
その時、私はみんなに「わかっていないなぁ、K主任は人を見

る目があったんだよ。」と言いましたが、本当は私以上に脳天

気なんだと思っていました。
当時、どう見てもかわいいチンピラのようなわたしが、そんなた

いそうな事をできるとは誰も思わなかったでしょうから。

S部長編
部長は私と小学校からの同級生でした。
私がいとこのスーパーで働くときに「必ず1~2年で店をつくる。

その時に一緒にしよう」とさそったことで、最初に私が働いたス

ーパーに一緒に働くことになり、私がやめたあともずっと働いて

いたのでした。
私が店をつくるとき、部長はいとこの店で店長をしていましたの

で乗ってくるかどうかはわかりませんでした。

でも当時Sはいとこの店の自分への扱いが気に入らないことを

言っていました。
私もSも、いとこの店では食品(グロッサリー)を担当していまし

たのでSが来なくても店をすることはできるのですが、最初から

私はチェーン店を何店舗も作れると思っていたため、どうしても

必要だと考えていました。
私はSに「一つの店をするだけだったら、そんなちっぽけな夢の

ために誘うことはできないけど、どうせやるなら子供ができても

自分の子供に、これがおとうさんの会社だと胸を張れるような会

社を作ろう。

そのためにもSの力が必要だ。S以外の人間はみんな決まって

いる(ほんとは決まっていない)。

俺たちはあのいとこのスーパーで売り上げを上げていったバリバ

リのエリートじゃないか。

俺たちにできないことなんかないはずだ。
一緒にしよう。」と言った。

でもなかなかけっしんがつかないようで「みんな参加するのか?。」

と聞いたので「みんな決まっててあとはあんただけだけど、参加で

きないときは俺が食品しないといけないなぁ。」と言いました。

「みんなやるんだったら俺もやるわ。」とSは言いました。

そしてSは確定しましたが、本当はそのときは誰も決まっていません

でした。

松下幸之助の書物で会社に仕事がなく、従業員がみんな原っぱ

?などで遊びだした時にひとりひとりに「あなただけはそんなことは

しないとおもってたのに。」と言ったそうです。

そして、言われた社員は、「俺は信頼されていたんだ。」と思い

それからは会社のために頑張ったそうです。

そして後にそれは自分だけじゃなくみんなに言っていたということが

わかったということでした。

さすが松下幸之助^^

私はそれをおもいだし、みんなに「みんな決まってる、あとは君だけ

だけどどうするの?。」と言って、みんなを参加させたのです。

も私の自信満々の気合いとはったりにだまされたので

あった。

青果担当Y社員の場合
友達S(のちの部長)が入ることになり、人員の骨組みができつつ

あった。
当初青果はK主任が担当することになっていたが、大きい売り上

げの店での経験がないためかなり不安だった。
そんな中、Sから「一緒に働いていたことのある青果をしていたY

もやめるようだ。」と言うことを聞き、私は「誘うことはできないか。」

とSに聞いた。
Sは「聞くところによると友達がやってるほか弁の店を一緒にする。」

ということだった。
私はSに会えるようにたのみ、話ができるようになった。
一緒に働いていたときのSの印象は、私が一年に一枚しか買え

ない(車のローンがきつかったため)SASSONのジーパンを何枚も

持っていてうらやましかったと言うことぐらいだった。
でも「おいおい俺には似合うけどYは太りすぎていて似合わないぞ。」

とも思っていたのだった。
当時の上司も私のYのジーパンへの視線でわかったのか「〇君には

似合ってるけどYには似合ってないぞ」と私に言ってくれ、「あたりまえ

だろ。」と思いながらもちょっとその気になっていた私であった。
話を聞くと実際、ほか弁で働くと言ったのはやめる口実だった。
私はYに「君の力が必要だ。野菜の担当者以外はみんな決まって

いる。

(本当は決まっていない)一緒にやらないか。

この業界は長い時間働いて当たり前、入ってくる人たちも最初から

覚悟して入ってきていると思われがちだ。

そんな考えはもう古い。
そんな事を言っていたら若い社員を育てられない。

俺たちでこの業界を変えて行こう。
どうせやるなら当初は年商50億を目指そう。

でもそれはあくまで通過点だ。」という
ような強気の発言におされて、Yも「一緒にやる。」と即答してしま

った。
「まぁ、入らないと損だもんなぁ。」と本気で思っていた自信満々

の私でしたが一つ問題がありました。
Y社員は決して引き抜いたわけではないのですが、いとこのスー

パーからすれば必ず引き抜いたと思うでしょう。

親戚ということもあり、変に誤解されるのもいやですから私は今

後のために筋を通すべく、いとこのスーパーに行くことにしました。
でも結果は「俺もそういう風にして社員を増やしていったから仕

方ないことや。」と言われ、いくら弁解しても聞いてはもらえませ

んでした。
私だったら、もし本当に引き抜いたのなら気まずくて来ないだろ

う。

でももし引き抜きであっても、わざわざ出向いて来てるんだから、

「わかった。がんばれよ。」ぐらいは言ってやる。

そんなことも言えないそんな度量の狭い人間だから社員がやめ

るんだよと思いました。
私の会社でも社員がやめることは少なかったですがありました。
でも社員一人一人みんな夢は違うんです。

経営者の多くは自分の夢をみんなに押しつけるようなことがあり

ますが、それはおごりでしかありません。
たしかに同じ夢を見れるような会社は理想だし、すばらしいと思

います。

でも働く社員さんたちは経営者にはわからない現実的な問題を

抱えているんです。
社員がすぐやめるのは「今時の社員は根性がない・・」ではなく、

賢いからやめるんです。
給料面、労働面、人間関係、あわないとわかれば長くいるだけ

損ですから。
だから私は、社員がやめるときは「何処が悪かったか?」そして

言ってくれた社員には私が行き届かないことをわび、「今後はこ

れから入ってくる社員が同じ思いをしないように気を付けていく。

あなたもがんばってください。」と言う。
夢がある社員には、「自分も夢を追っているのでお互い夢をもつ

者としてがんばりましょう。」と言う。
今まで言い終わり方をしたおかげで、後にその人たちがまた会

社に入ってくれて助けてくれたことも何度かありました。
縁があり、入った社員。

人生の大事な時期を会社にあずけるわけですから、入った社員が
後悔しない、悔いの残らないようにしたいと思っていました。
会社を経営していてうれしく思う瞬間はたくさんありましたが「社長

が好きだから働いてる。」と言われた時は本当によいしょでもうれ

しいものです。

イケメンI社員
I社員も喫茶チェーンCのいっしょに働いていた仲間だった。
バイト時代、私はIとよく洗い場を代わってあげた。本当は店内にか

わいいこが入ってくるのを見たいだけだったがIは完全に私をいい人

と勘違いしていた。
Iはサーファーで当時店はヤンキー7人サーファー2人の状態だった。
Iは店の食パンを一斤ぱくってサーフィンに持っていってた。
サーファーは見るからに貧乏そうだった。
ある日Iは寒い2月にC店のヤンキーたちをサーファーに誘われ、渋々

行くことになったのだった。
Iは高校生だったため海に行く車を確保するためにみんなをよいしょし

て車を確保したのだった。
伊勢に行ったのだが途中のドライブインではヤンキーは私たちだけで

サーファーと険悪なムードになりけんかになりそうだった。
海に着くとヤンキーは寒いながらも海にはいっていった。
みんななかなか立てなかった。

ヤンキーは私も含めて運動神経がいいとおもっているもんで、みんな

立てないことを信じられないことのように思っていた。
Iの作戦は大成功だった。
「うまくのせられたな。」と思った私もがんばってやってみるがなかな

か立てない。
私はIを観察してみた。
普段めがねをかけているIはめがねを取るとイケメンだということがわ

かった。
でもおかしいことに波が来るのを見てるんじゃなくて、横のサーファー

ばかり見ていた。
わたしは「Iはひょっとして波がみえないので横の人を見てるんじゃな

いか。」と思った。
私は横に並び、波が来ていないのにパトリングをする振りをした。
Iはおもいっきりパトリングをしていった。

信じられないおもしろさだった。
そんなことを2度繰り返すと、とうとうわかってしまい「〇さんたのむか

らやめてください。

体力なくなっちゃいますよ。」と言われた。
そして初のサーフィン体験が終わったのだった。
一月後、店はヤンキー2人、サーファー7人に変わっていた。
長くなったがIとはそんな出会いだった。
Iとは3回交渉し、最後に参加する事になるのだった。

でもIは現実的で、社員にはなったが私の得意のはったりや大きな

夢も真剣にはとらえてなかった。
人数的にはそろっていたが個人的に好感を持っていたので誘って

みたがだめでもいいと思っていた。
しかし、ただ1人のスーパーの未経験者が当社で最高にできる社

員になっていくことはそのときには想像もつかなかった。

のちに社員みんなで立ち上げ当時の話になり、みんなが私から

「みんなはいることは決まっていてあとは君だけだけども。」と言わ

れたことが発覚した。
その時私は言った。
「すんだこと忘れよ。」(^-^)

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流通業界に30数年携わってきた中で起こった事件をつづっています。10数年前に事件に巻き込まれた際、「真相さん」という2ちゃんねるのスレのなかで多くの支援者に支えられ、立ち直れたことに感謝の意を唱えます。
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