私は4号店のF市店の鮮魚のテナントを決めなければいけなか
った。
レジ会社のT岡社の担当に「大阪で一番の魚屋さんてどこ?。」
と聞いた。
担当のY田さんはしばらくして3社ほど候補を上げてきた。
私はその鮮魚が入っている店をまわりその中でK和水産という
ところが一番良かったのでY田さんに我が社がテナントを募集
しているとあちらに伝えて欲しいといった。
K和水産は卸売市場をしていて、当時は卸が小売をしてはいけ
なかったので別会社を作ってあり、そこの●ディという会社の社長
H房さんがきたのだった。
そして最初の第一声が「おたくヤクザですか?。」と言った。
「ええ~なんでですか?。」と聞いたら
「若いのに店舗展開してるので。」ということだった。
若くて店舗展開していたらヤクザなのか~~~と思ったが
私は「ちがいますよ。」と笑みを浮かべて答えたのだった。
そしてF市店がオープンする前に売り場でK和水産の社長が青果の
平台の4ツ目を鮮魚の売り場に欲しいと言いだした。
我が社は青果が強いスーパーだったので簡単にはその条件を
飲めなかった。
私はとりあえず売り上げの構成比が20%を超えたらその場所を
譲ると言ったのであった。
しかしその条件をクリアし、平台を渡すことになるのだった。
そして本店の方では潰した市場が再度リニューアルし、オープン
して、我が社は改装して売り場を拡張して対抗した。
リニューアルした活性化市場の鮮魚の評判がいいので調べたら
私とは犬猿の仲のいとこのスーパー●ルヒに入っている鮮魚の
師匠にあたる人が入っていたのだった。
いとこのスーパーの鮮魚は評判が良かったがその師匠となると
てごわいな~と思った。
私はとりあえず関係がないわけでもないのでその魚屋さんの
電話番号をレジ会社の担当Y田さんに調べてもらい電話をした。
「もしもし、私は●ルタの社長ですが、うちの店に入りませんか
知り合いの魚屋さんの師匠と聞いたので、その店はうちがオープン
するときに反対運動をしてくれたので潰すことにしています。
その店を潰す前にうちの店にはいりませんか?。」と聞いたのだっ
た。
その魚屋さんは笑いながら「そんなことできないだろ~。」と言っ
たがまぁ当然の答えだった。
私は「とりあえず師匠の弟子の魚屋さんとは知り合いなので
電話だけ入れとこうと思いましたので。」と言って話はおわった
のだった。
私はK和水産に「うちの本店に入れてあげますよ~どうします。」
とK和水産の社長に聞いた。
そして本店の鮮魚は直営からテナントに変えることになったのだ
った。
オープン前にK和水産の社長が「うちは青果に売り上げが負けた
ことない。」というのでうちも青果は負けないですよ。
F市店はフランチャイズですがここは直営でましてや本店ですか
ら。」と言ったのだった。
当時は鮮魚は直営の時には1000~1200万円の売り上げだっ
たがテナントにかわるとさすがに大阪一と言われることはあり
1日30万円ちょっとの鮮魚の売り上げが70万円を越していったの
だった。
私の店は正月しか休みがなかったが、鮮魚は週に1回休んだ。
でもその日はパートさんが造りを作ったものを冷蔵庫から出す
だけなのだが、社員がいないのもかかわらず鮮魚の1日の売り上げ
が60~70万円あったので何も言えないのであった。
とりあえずは成果の売り上げ構成比が24%で鮮魚の22%には
勝ったのだがすごい魚屋さんだな~と思ったのだった。
そして鮮魚の1日の売り上げは以前より40万円増えたのだが
相乗効果で店の売り上げはかるく100万以上増えたのだった。
そして公言通り活性化市場は2ヶ月後に潰れるのだった。
オープンの日にとらふぐがチラシに入っていて裏方では鮮魚の
社員7人がお客さんが買ったフグをてっちり用やてっさなどに
さばいていた光景は凄まじかったのを今でも覚えているのだっ
た。
売り上げは伸びると思っていたがまさかここまでとは思わなかっ
た私だった。
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