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事件の真実
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つぶれた市場
創業して10ヶ月がたち、当初反対運動をした市場もつぶれ

てしまった。
年末、店内の冷凍ショーケースを冷やすための外部の配管

をペンチでつぶされていたが、かすかに隙間があったためか

ろうじてトラブルにならずにすんだ。
見たという人もいたので市場の人だと思われるが、もし完全

に塞がっていたら年末の大量の商品がすべてアウトになる

ところだった。
社員たちは、当初の市場の出店反対運動での営業妨害で

苦しめられたので、「おとなしくしとけばこっちも手加減したの

に。」とか「自業自得やね。」とか好きな事を言って歓声をあ

げて、台所で祝杯をあげていた。
私は「悪いことをしたな、地元とは共存共栄していかなけれ

ばいけないのに。」と言うと、「よくいうわ。そんなこと微塵も

おもってないくせに。」と鮮魚の担当者が言い、I社員は「社

長、顔笑ってますよ。」と言われた。

みんなに「潰れた市場に黙祷~。」と言うと
またみんな大笑いした。
それによって、第一商圏(半径500m)では1600世帯しか

ないにもかかわらず60坪しかない売り場で平均売り上げが

230~240万円になった。
狭い売り場は毎日空っぽになり、次の日は店を商品で埋める

のに大忙しと言った日が続いた。

社員旅行(前)
毎日忙しいが、そんな社員をねぎらうために週に2~3回は社

員と今日は炉端だ、寿司だなどと食べあるいていた。
みんなよく酒を飲み私は飲めないので、もっぱら私は会計とみ

んなの送迎係だった。
私や社員も独身が多く、みんな暇だった。
そして、かなり資金も楽になってきたので当初中古でおぎなった

冷凍ショーケースがよく故障したため3日休み、新しいのに入れ

替えることになった。
その間やることがないのでみんなで社員旅行に行く運びとなった

のだった。
集金してもらっている〇協は観光もしている部署があり、そこに

手配してもらって山〇温泉に行くことになった。
私は山〇温泉がどういうところか知らないのでたのしみにしてい

た。
I社員が得意先に山〇温泉に行くことを話したら、漬け物屋が

「やらしい。山〇温泉て〇〇〇で有名やぞ、みんなやらしいな

ぁ。」と言われたといってみんなに話していた。
「ええーそんなとこなのか。

山〇温泉て。」私は期待で胸がいっぱいになった。
I社員が「どうします。別のところにしますか。」ときいた。
部長は「いまさら変えられないしなぁ。」と言い、私は「そうだなぁ

仕方ないなぁ。」と言ったが、私も部長も同じ気持ちだったことは

いうまでもない。
変えられないのは私たちの気持ちだということを部長と私はア

イコンタクトで語っていた。
次の日に〇協観光に最終決定を告げた。
前日は生鮮品を売り切るため値引き売り出しをした。
みんな気合いが入っていた。

店に入ってくるお客さんに売り込み合戦だった。
特に美人のお客さんには社員が集中した。
このころはなんでもありの会社であった。
車中

社員旅行当日、会社前に農協観光のサルーンバスが到着

した。
社員の他に、私の弟、農協の担当者、社員候補のアルバイ

ト、我が社の担当の電気屋さんも参加したと想う。
バスの2階の座敷のようなところに集まって、みんなはビール

を飲みまくっていた。
スチュワーデスさんはお酒をつぐのに大忙しだった。
もはやホステス状態だった。
すぐに女の人に抱きつくY社員が、何かしないか心配で仕方

なかった。
山〇温泉につくまで、いろんなところを回ったような気がする

が、みんなは酒を飲んでばっかりで観光などはどうでもいい

ようだった。
私は酒は飲めないのでおとなしく寝ながら、これから起こる

ことに期待しつつ体力を温存するのだった。
夕方には、みんなはすっかりできあがっておとなしくなりつ

つあった。
そして山〇温泉についた。

宴会場
旅館での部屋わりは部長がしていた。
酒をよく飲むY社員は危険なので、私はI社員や部長と一

緒の部屋にしてもらった。
しばらくは部屋でのんびりしていたが、添乗員代わりの農

協職員が部屋にきて「今から食事ですので宴会場に集ま

ってください。」と告げた。
部長は「ぱっぱと飯食って遊びに出ようぜ。」と言った。
あとの楽しみに期待を寄せながら私たちは宴会場に行った。
みんなが席について部長のしきりで、私は挨拶をさせられた。
もともと人前でしゃべるのが苦手だったので自分で会社を興

したのだが、こういう事もあるとは思っていなかった。
「みんなががんばってくれたおかげで、社員旅行を行うことが

できました。
どうせなら、今度は海外旅行に行けるようにがんばりましょう。」

と言って簡単に終わらせたというより、それぐらいしかしゃべれ

なかった。
挨拶が終わり宴会が始まると、コンパニオンが2人はいってきた。
農協の担当者に聞くと、5人に1人はセットでついてくるらしかった。
車中、あれだけ飲んだのにみんなは衰えを知らなかった。
またもY社員は大暴れをしていた。
100キロをゆうに超すY社員はもはやだれにもとめられなかった。
二人のコンパニオンのかわいい方に的を絞ったかと思うとコンパ

ニオンの後ろから抱きついて羽交い締めにしていた。
コンパニオンは笑いながらも引きつっていた。
農協職員は社長何とかして下さいと言ったがもう何ともならないと

思った。
とりあえず、Y社員の部下に指示し取り押さえた。
でも本当はうらやましくて仕方なかった。
できるなら代わりたかった。

活動開始
そんなこんなで大騒ぎした宴会も終わり、私は部屋でのんびりし、

I社員と部長は大浴場に行った。
その間、私は遊ぶところはどんなところがあるか仲居さんに聞い

ていた。
仲居さんは「山〇温泉といえばかわいい女の子がたくさんいるの

で有名です
から。」と言った。
私は仲居さんに5000円のチップを渡し、社員(私も含めて)がい

いところに連れて行ってもらえるようにたのんだ。
しばらくするとI社員と部長が大浴場から帰ってきた。
I社員は「女の三助さんがいて、背中を流す振りをしてちんちんを

つかまれた。」と騒いでいた。
三助さんがちんちんをわしづかみにするほどI社員はでかいのか?

つまんだだけじゃないのかとすこし疑問におもいながらも、仲居さ

んの来るのを待った。
別の間のY社員の様子を見るとこちらも行動を起こそうとしていた。
私はYに1万円をわたして「何かの足しにして。」と言った。
Y社員は「おいおいみんな社長にお礼をいわんか。」と言って自らも

礼をいい、また作戦を練りだした。
後で考えれば1万円は少なかったかなと思ったが、まだ貧乏性だ

しと思った。
私はこのあともいろんなところで貧乏性がでた。
後にポルシェを買いに行き、契約書をほとんど書いたあとで車両

保険の欄を見て1000万円以上の車の金額には何とか耐えたが、

40万前後の車両保険の金額に保険で車が買えると思い、耐えら

れず契約をやめて帰ったこともあった。
仲居さんの手引きで部長とI社員、私の3人は、旅館からだいぶ離

れた場所にある民家のようなところについた。
そしてそれぞれの部屋に通された。
金をはらってまで女の子とHするのは間違ってる。

Hはただなんだと思っていた私は以前、Y社員から「恋愛とソープは

全然違う。

ソープの女の人はセックスマシーンだ。」と言う講釈を聞いていて、

始まることにドキドキしていた。
すぐに22~23歳ぐらいのかわいい女の子がきた。
女の子は私に「脱いで。」と言った。
私はパンツ一丁になるとまた女の子は「パンツも。」と言った。
私はまさに手術前の患者の心境だった。
私の息子は口でもてあそばれ、上に乗られしばらく責められた。
「キィーーーーン」頭の中をジェット戦闘機が通り過ぎた。
私の声援もむなしく、難攻不落とさえ言われた遅漏の〇〇ちゃんと

言われる自慢の息子も簡単に調理されてしまった。
ウェットティッシュでふきふきされ、「冷たくて気持ちいいでしょう。」

と言われたが私は簡単に打ち落とされた息子を嘆いていた。
私の中に「雨上がりの夜空に」の歌が流れた。
でもバッテリーもぎんぎんじゃなかった。
私は部屋から出て、先に送ってもらった。
旅館のロビーでくつろいでいるとI社員と部長が帰ってきた。
二人の顔を見ると勝ち誇ったように見えた。
特にI社員の目が「早いお帰りですね。」と言っていた。
I社員の話を聞くと、「だいぶ待たされてからかわいい女の人がきて、

相手にクンニをしてやった。」と言っていた。
I社員がトイレに行ってる間、部長は私に「あんな風呂もないような

ところの相手にクンニはできんぞ。」と言った。

私は「いや、I社員の相手の特徴を聞いたら、俺の相手とそっくり

なんや。」と言った。
部長は「社長の玉金をなめてるようなもんかも。」と言い笑った。
私も少しは敗戦処理をしたような気分になった。
あとでYの部屋に行き、Yの話を聞いた。
Yはソープに行き、相手が下手なので教えてやったと自慢して

いた。
私は「こいつ、はらで自分のちんちんも見えないのに言うなぁ。」

と思った。

次の日、帰りのバスもどんちゃん騒ぎで酔いまくって、楽しんだ

社員旅行は終わった。

また店で忙しい日々が始まったが何かパートさんの反応がおか

しかった。
後日わかったことだが、しゃべりのS社員が社員旅行のことを

みんなにしゃべり「女を買うなんて見損なった。」と、すっかり社員

の威厳は総崩れになっていた。
とりあえず私は否定したが、私はすでに確信犯だった。
パートさんには私はどうでもいいが「I社員や部長が。」と信頼感

をなくした様子だった。
このあと、私が聞いた噂ではI社員は「私に無理に連れて行かれ

仕方なく。」ということで通っていた。
私は何も言わなかったが「クンニまでした奴が・・・。」とちょっと

悔しかった。

わたしもまだまだだと痛感する社員旅行だった

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私が無事退院した直後のことだった。
当然、一店舗しかなかったし、事務員を雇う余裕もないので売り

上げの入金などの立ち会いは私の仕事だった。
当時、売り上げはいったん〇業協同組合に集金してもらい、そこ

から必要な金額だけをS銀行の当座に振り込むようになっていた。
でもわりと金額があわないこともあり、担当者も計算してから持ち

かえるのだが、あとで多かったとか、足らなかったとかいうことも

あった。
こちらもいい加減だったし、毎日集金してくれることはとても助か

ったのでいろんな意味で協力した。
その日も、いつもどおり集金に来たM外交員が計算を間違う?よ

うに、私はいろんな事を話した。
するとM外交員が、「今あたりやが多いんですよ、気をつけた方が

いいですよ。」と言った。
「当たり屋ですか?あの近大の前のゲーム喫茶・・・。」
私はボケたが受けなかった。
そもそもそういうことが通じないまじめな人だった。
「ちがいまんがなぁ。車なんかに当たってくる人ですがな。」とM外

交員は言った。
一応、つっこみになってると思った。
まじめに聞いてみると職場の外交員が当たられて高い時計も壊れ

たと言われ、10万ぐらい取られたと言うことだった。
そしてまた2~3日して今度は別の外交員があたられ、また金を請

求されたが同じ〇協の外交員だとわかると逃げていったと言うこと

だった。
私は、車じゃなく単車に当たるとは安全な当たり屋だなぁ。

でもせこいとも言えると思い、一応社員には伝えておいた。

2~3日して私は店の近くを会社の軽のバンで走っていると向こうか

らおっさんが歩いてきた。
普通よりも腕を横に振って歩いているのでM外交員の話を思い出

した。
私は時計をどちらにしてるか見ると車に当たる腕とは反対の方だ

った。
顔をみると以前店の前の筋にある服やさんの定員を自分の顔と

相談しないで口説いていた近所のやくざのおっさんだった。
このおっさんやろ・・多分。
私は車を止めた。
まさか止まってる車にぶつかったと言って文句言ってくる奴もいない

だろうと思った。
でもそれでも文句を言ってきたらこのおっさんは豚箱いきだなと

思った。
そんでもって被害にあった外交員の証言もでてきて・・・可哀想。・・
と余計な想像をしていたがまさか止まっている車ではそれもない

だろうと思っているた。
行きすぎようとしている相手をバックミラーで見ていると、なんと

止まってから相手が横を通るまで、かなりの時間があったにもか

かわらず、車の後ろの方に手を当てて文句を言ってきた。
「信じられない。やくざもここまでしないと食っていけないのか。

情けない。」と思い、相手の話に耳を貸した。
「当たったやないか、こんなとこ停めてるから。」やくざが言った。
私は動いてる方が危険だと思った。
止まっていて正解だった。
私は「すいませんね。道調べてたから。」と言うと
「にいちゃん、あそこの店のもんか、しゃーないな許しといたる

わ。」と言って去っていった。

あまりにもせこいこのやくざ、許しておいてあげたのは私の方だ

ったことを知らない。

それにしてもそんなことをしのぎにしないとやっていけない現状

とはヤクザもつらいな~

この前、女に声かけたどうこうと言ってきたヤクザと同じ組だから

何をして食っていってるのかなぁと思いながらも、切羽詰ってそう

だから社員にも気をつけるように言おうと思った。

 

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突然の訪問者
店をつくって半年後の私が病院を退院して大阪市内のマンショ

ンに1人暮らしをはじめてすぐのことだった。
夜10時過ぎ、のんびりサザンの音楽を聴きながらテレビを見て

いるときだった。
チャイムが鳴ったので誰かと思いドアをあけると青果担当Yであ

った。
明日も仕入れがあるだろうに遊びに来るなんて元気だなぁと思

い「はいれよ。」というと布団を持っているではないか。
するとYは「飲酒運転で免停になってどうしたらいいか考えたん

やけど、社長が(何が起こるかは問題じゃない。どう対処するか

が問題だ)言ってたように自分なりに考えてこれしかないとおも

って来たんやけど。明日から朝の仕入れに乗せていってほしい

ねん。」と言った。
「どうしてここまで来たんだ。」と聞くと彼女に乗せてきてもらった

と言うことだった。
「社長ええかな?」と聞くが「それしかないやろ。余ってる人間は

俺しかいないし。」と言って中に入れた。
でもよくよく考えて見ると簡単に言えばYの運転手になると言うこ

とだった。
ここにはトラックを止めるところがないので会社にトラックを取りに

行きそこから東部市場(生鮮の仕入れ先)に行くことになる。
ハードな毎日になるなぁと思ったが、みんなががんばっているの

を見るのも必要だからいい機会だとも思った。
考えたら最初から仕入れはすべてまかせっきりで楽をさせてもら

っていたしと思い楽しみにも思えてきた。
私には飲酒運転の免停については別にとがめる気はなかったし、

私自身とがめる資格もなかった。
「すんだことは忘れよ。」と言うことも私の口癖で社員の失敗の慰

めの時や、自分の失敗の時の逃げ口上に使っていた。
私は酒は飲まないがくるまで飛ばすのが少し?好きだった。

私にはスピード違反の可能性が大いにあった。

明日は我が身かも知れないからだった。
私は何時に起きるのか聞くと3時半に起きると言うことだった。
「ええー。」私はあまりの早い時間に引きつった。
しかしとにかく言う通りに目覚ましをセットし明日の準備をした。
私の仕事の稼働時間はY社員とは違い、朝はゆっくりだが夜は

遅かった。
私はいろんな事をYに話しかけたがYはいつも朝早いのでいつの

間にか返事もなくなり寝てしまった。

30日間の運転手。
朝、4時前にはマンションを出て会社でトラックに乗り換え、東部

市場に向かった。
朝は道が空いていることもあり4時半ぐらいには市場に着いた。
私はそれぞれの仕入先を回ってみた。
仕入先は「あれだけの出店反対運動があったのによく頑張ったな。

みんな応援してるからな。」と言ってくれり、「市場の出店に反対し

た人たちにどつかれたりしてないか。」とかいわれ、私は「みんなが

がんばってくれてるから。」と言ってすこし照れた。
スエット姿で仕入れ先を回るI社員は今風の若者と言うことで市場

では評判になっていた。
社員たちは私が市場に来ているということで集まってきたが私が「み

んなで飯食おうや、おごらせてもらうから。」と言うと鮮魚の担当者は

「えーえー儲かってからおごってもらうから。

みんなまだしっかり利益もようあげんのに給料だけは一丁前にもらっ

てんねんから。」と言われてしまった。
私は「めったに来ないんだから今日ぐらいはええやん。」と言い、みん

なで飯を食った。
朝早いのにみんなめちゃくちゃ元気だった。
私は仕入先10件ぐらいをまわり、歓迎され各場所でコーヒーを出され、

腹ががぽがぽになってトラックにもどった。
待っていると仕入れた野菜が運ばれてきた。
運んできた野菜の仕入先の社員に「いつもお世話になっています。」と

いうとその人は「社長ところの社員はよく働くね、おたくのYさんなんか

は俺みたいな奴が担当を持たせてもらってるんだから会社に損させる

ことはできないって言って、朝早く来て我々仲買が元売り(卸の本元)

から競りで落として仕入れる値段を書き、高く買わされないようにし
てる。

我々もやりにくいけどそれだけがんばってる者もいないから応援して

る。」と言われた。
みんな知らないところでがんばってるんだと思い、普通は自分も含め

て楽な方に楽な方に行こうとするのに、そういう社員がいることがうれ

しかった。
店に帰る道中、私はYに「朝、高く買わされないように仲買がいくらで

買うか見てるんやて、そんなことしてたら体がもたんぞ。

野菜仕入れるのはY君しかおらんのに、倒れたら俺が仕入れに来な

いといけないやろ。俺も野菜の仕入れはしてたけど素質ないから
俺が仕入れたら店つぶれるぞ。だから無理すんなよ。」と言った。
でも聞くようなYじゃないことはよくわかっていた。
でも免停中の30日間はやめてくれと、自分勝手な私は思っていた。

かなりきつかったが何とか30日間の運転手は終わった。
でもこれが前例になり、その後、別の社員も飲酒運転で免停になり、

くることになるのだった。

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ボーナス
会社設立、近隣の市場の出店反対運動、開業資金問題、

社員集め、納品業者集め様々な問題をクリアし、十二指腸

潰瘍で入院したりはしましたがその後は何の問題もなく毎

日を過ごしていました。
12月になり、当然最初の年はさして資金もなく開業し、初期

投資があるために2千万円近くの赤字は間違いありませんで

したが、平均売り上げが150万円ぐらいになっていたので何

とかやっていけてました。
一番資金が少ないときが300~400万円ぐらいでした。
社員みんなががんばってくれて、何とかここまで来られたので

何とかして賞与を払いたいと思いました。
友達の経理氏に相談しましたが「せっかくここまで来てつぶれ

たらどうするの、俺は反対だ」と言われました。
私は「運良くここまでやってこれたと思う。

でもみんなもほんとによくついてきてくれた。
なんとか払おうよ。」と言うと、経理は「あくまで社長がやってる

んだから払うのも払わないのも社長の勝手だけど俺は責任は

もたないよ」と言われました。
私は、次の日に会社の予定表のホワイトボードにナスに棒を

刺した絵を20日の日に描きました。
社員に「これ何?」ときかれ、私は「ナスに棒を刺した絵・・わか

らない。ボーナス。」と言いました。
社員たちは「ほんまかいな。」とうれしそうな顔をしました。

「今時、こんな絵かかんで。」とも言いました。
1人の社員が「大丈夫?ボーナスだしてつぶれたらしゃれなら

んで?」と言いました。
「そんなにたくさんは出せないかもしれないけど、どうなるかもわ

からんのにみんながんばってくれたから。

それにボーナスだしてつぶれたら俺もそれまでだったとあきらめ

てもらうし。」と私が言うとみんなにやる気がみなぎっていくように

思えた。
でも実際、資金が少し余っていたのは入院しているときにテナン

トの肉屋の支払いを2回分(20日分300万円)払い忘れていて、

肉屋も入院している私に支払いのことは言えなかったということ

だった。
忘れてると言うことはなんと幸せなことだろうと思った。

そしてこの年明けに危うく残高2万円になって死にそうな想いを

するのだった。

一年目の通説
青果担当のYはボーナスをもらったことを親に言ったら「だせない

状況で出してくれたんだから一生ついてけと言われた。」と私に

言った。
出した甲斐があったと思いYに「この状況でボーナス出せるのは

日本広しといえど俺ぐらいやで。」
「一つ間違えば馬鹿やけどな。」といって一緒に笑った。
最初の年の年末は売れないという通説が業界にはあった。

今まで年末は何処で買うと決めてる人が多いからだ。
しかしこのY社員は自信をもって買いまくった。
大丈夫かなと私も思ったが「消極的な失敗よりも積極的な失敗な

らええやろ。」と応援した。
結果は青果担当Yのノルマは粗利益200万円だが実際は17万

円だった。
Yは社員みんなの前で「正月も1人で店の前で野菜を売る。」と言

った。
私はみんなに「何が起こるかは問題じゃない。どう対処するかが

問題だ。」と言った。

この言葉は私が洋画マイウェイのなかに出てくる言葉でもっとも

印象に残っている言葉だった。

そして私は続けていった。

「我が社にはもう一つ社訓がある。

一度しか言わないし、むずかしい言葉だからよく聞いてほしい。」

と言うとみんなだまって静かになった。
私は言った。「すんだことは忘れよ。」

みんなはどっと笑った。私もうけたのは大いに満足だった。
Y社員は「ほんとにそれ
でいいの。」ときいてきたので、「まだ会社

が小さいうちの失敗だからいまのうちに経験しとくほうがいいだろ。

大きくなったときの失敗はこれではきかんやろ。」と私が言うと少し

安心したようだった。
私は続けて「それにもしYが1人で売ると言って実際にしたら俺もほ

っとけないし、他の社員も同じかもしれないぞ。

やっぱり正月は休みたいもんな。」「それに正月は俺のファンの女の

子と遊びまくらないといけないし」と言うと部長が「それが本音やろ。」

と言った。
みんなは部長の一言で笑った。
でも私はおいしいところを部長に持っていかれ不満足だった。

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今までは店のこと、私のことなどを話してきましたが、ここ

にはどうしてどうなるかわからないような会社に4人の社員

を集められたのかを書きたいと思います。

K主任編
以前に述べたことがあると思いますが、私は店をする前は

喫茶店のチェーン店Cで働いていました。

Cは賢いと言う意味なんですが、あまり賢いのはいないよ

うに思えました。

当然、社員ではなくバイトで何度も店を変わりました。
そのチェーン店
の最初の店でおとなしい私が店長ともめ?

そのチェーン店では働きづらくなっていたのですがA駅地下

店の店長が「ここならわからんだろう」といって拾ってくださ

いました。

その店の次の店長がK主任でした。

K主任が店長のころ、私はチェーン店CのNNタウン店にいま

した。
なんなんタウンの店は閉店が通常は夜8時まででした。
私はA駅地下店にはお気に入りのNさんがアルバイトで働い

ていたため、NNタウン店はいつも7時半にしめ、8時に閉まる

A駅地下店に速攻で行き、Nさんと
一緒に帰りたいために従業員3~4人を車で送ってました。
そのなかにK主任もいたのでした。
私はスーパーで働きだしたときもよくA駅地下のC店に行き、

店長のKに夢を語っていたのでした。
K店長は何を思ったか「俺もその話しに乗りたい。」と言い、

どうしたらいいか聞いてきました。
その時私は、あるスーパーで店長をしてくれと言われていた

ので「店を作るまで一緒に働きますか。」と誘いました。
その時に、同じA駅地下店の社員C(店をするときには家庭

の事情で参加はできませんでした)も同じように私の夢に乗

せられて参加する事になっていたため、K店長も乗って来ま

した。
そして店ができるまでスーパーのことを覚えるために私の指

示でいろんな店で働いたのです。

K主任は当時子供が3人にて4人目も奥さんのお腹の中に

いました。

相当覚悟がいったと思います。
まぁ店は必ずできると思っていた脳天気な私はそのことをあ

まり深く考えていませんでしたが、途中物件がみつからず、

何度も「もう無理かな。」と思いましたが、そのたびにたくさん

の家族をかかえて私の夢に参加してきたK主任のことを考え

ると、「もうすこしがんばってみよう。」と思ったことも事実でし

た。
きっとK主任が参加しなければあきらめていたでしょう。

それほど店舗探しはむずかしいものでした。
できるかどうかもわからない、普通に考えればできっこないよ

うな夢にたくさんの家族をかかえて、よく話しに乗ってきたなぁ

と社員はみんな思っていました。
その時、私はみんなに「わかっていないなぁ、K主任は人を見

る目があったんだよ。」と言いましたが、本当は私以上に脳天

気なんだと思っていました。
当時、どう見てもかわいいチンピラのようなわたしが、そんなた

いそうな事をできるとは誰も思わなかったでしょうから。

S部長編
部長は私と小学校からの同級生でした。
私がいとこのスーパーで働くときに「必ず1~2年で店をつくる。

その時に一緒にしよう」とさそったことで、最初に私が働いたス

ーパーに一緒に働くことになり、私がやめたあともずっと働いて

いたのでした。
私が店をつくるとき、部長はいとこの店で店長をしていましたの

で乗ってくるかどうかはわかりませんでした。

でも当時Sはいとこの店の自分への扱いが気に入らないことを

言っていました。
私もSも、いとこの店では食品(グロッサリー)を担当していまし

たのでSが来なくても店をすることはできるのですが、最初から

私はチェーン店を何店舗も作れると思っていたため、どうしても

必要だと考えていました。
私はSに「一つの店をするだけだったら、そんなちっぽけな夢の

ために誘うことはできないけど、どうせやるなら子供ができても

自分の子供に、これがおとうさんの会社だと胸を張れるような会

社を作ろう。

そのためにもSの力が必要だ。S以外の人間はみんな決まって

いる(ほんとは決まっていない)。

俺たちはあのいとこのスーパーで売り上げを上げていったバリバ

リのエリートじゃないか。

俺たちにできないことなんかないはずだ。
一緒にしよう。」と言った。

でもなかなかけっしんがつかないようで「みんな参加するのか?。」

と聞いたので「みんな決まっててあとはあんただけだけど、参加で

きないときは俺が食品しないといけないなぁ。」と言いました。

「みんなやるんだったら俺もやるわ。」とSは言いました。

そしてSは確定しましたが、本当はそのときは誰も決まっていません

でした。

松下幸之助の書物で会社に仕事がなく、従業員がみんな原っぱ

?などで遊びだした時にひとりひとりに「あなただけはそんなことは

しないとおもってたのに。」と言ったそうです。

そして、言われた社員は、「俺は信頼されていたんだ。」と思い

それからは会社のために頑張ったそうです。

そして後にそれは自分だけじゃなくみんなに言っていたということが

わかったということでした。

さすが松下幸之助^^

私はそれをおもいだし、みんなに「みんな決まってる、あとは君だけ

だけどどうするの?。」と言って、みんなを参加させたのです。

も私の自信満々の気合いとはったりにだまされたので

あった。

青果担当Y社員の場合
友達S(のちの部長)が入ることになり、人員の骨組みができつつ

あった。
当初青果はK主任が担当することになっていたが、大きい売り上

げの店での経験がないためかなり不安だった。
そんな中、Sから「一緒に働いていたことのある青果をしていたY

もやめるようだ。」と言うことを聞き、私は「誘うことはできないか。」

とSに聞いた。
Sは「聞くところによると友達がやってるほか弁の店を一緒にする。」

ということだった。
私はSに会えるようにたのみ、話ができるようになった。
一緒に働いていたときのSの印象は、私が一年に一枚しか買え

ない(車のローンがきつかったため)SASSONのジーパンを何枚も

持っていてうらやましかったと言うことぐらいだった。
でも「おいおい俺には似合うけどYは太りすぎていて似合わないぞ。」

とも思っていたのだった。
当時の上司も私のYのジーパンへの視線でわかったのか「〇君には

似合ってるけどYには似合ってないぞ」と私に言ってくれ、「あたりまえ

だろ。」と思いながらもちょっとその気になっていた私であった。
話を聞くと実際、ほか弁で働くと言ったのはやめる口実だった。
私はYに「君の力が必要だ。野菜の担当者以外はみんな決まって

いる。

(本当は決まっていない)一緒にやらないか。

この業界は長い時間働いて当たり前、入ってくる人たちも最初から

覚悟して入ってきていると思われがちだ。

そんな考えはもう古い。
そんな事を言っていたら若い社員を育てられない。

俺たちでこの業界を変えて行こう。
どうせやるなら当初は年商50億を目指そう。

でもそれはあくまで通過点だ。」という
ような強気の発言におされて、Yも「一緒にやる。」と即答してしま

った。
「まぁ、入らないと損だもんなぁ。」と本気で思っていた自信満々

の私でしたが一つ問題がありました。
Y社員は決して引き抜いたわけではないのですが、いとこのスー

パーからすれば必ず引き抜いたと思うでしょう。

親戚ということもあり、変に誤解されるのもいやですから私は今

後のために筋を通すべく、いとこのスーパーに行くことにしました。
でも結果は「俺もそういう風にして社員を増やしていったから仕

方ないことや。」と言われ、いくら弁解しても聞いてはもらえませ

んでした。
私だったら、もし本当に引き抜いたのなら気まずくて来ないだろ

う。

でももし引き抜きであっても、わざわざ出向いて来てるんだから、

「わかった。がんばれよ。」ぐらいは言ってやる。

そんなことも言えないそんな度量の狭い人間だから社員がやめ

るんだよと思いました。
私の会社でも社員がやめることは少なかったですがありました。
でも社員一人一人みんな夢は違うんです。

経営者の多くは自分の夢をみんなに押しつけるようなことがあり

ますが、それはおごりでしかありません。
たしかに同じ夢を見れるような会社は理想だし、すばらしいと思

います。

でも働く社員さんたちは経営者にはわからない現実的な問題を

抱えているんです。
社員がすぐやめるのは「今時の社員は根性がない・・」ではなく、

賢いからやめるんです。
給料面、労働面、人間関係、あわないとわかれば長くいるだけ

損ですから。
だから私は、社員がやめるときは「何処が悪かったか?」そして

言ってくれた社員には私が行き届かないことをわび、「今後はこ

れから入ってくる社員が同じ思いをしないように気を付けていく。

あなたもがんばってください。」と言う。
夢がある社員には、「自分も夢を追っているのでお互い夢をもつ

者としてがんばりましょう。」と言う。
今まで言い終わり方をしたおかげで、後にその人たちがまた会

社に入ってくれて助けてくれたことも何度かありました。
縁があり、入った社員。

人生の大事な時期を会社にあずけるわけですから、入った社員が
後悔しない、悔いの残らないようにしたいと思っていました。
会社を経営していてうれしく思う瞬間はたくさんありましたが「社長

が好きだから働いてる。」と言われた時は本当によいしょでもうれ

しいものです。

イケメンI社員
I社員も喫茶チェーンCのいっしょに働いていた仲間だった。
バイト時代、私はIとよく洗い場を代わってあげた。本当は店内にか

わいいこが入ってくるのを見たいだけだったがIは完全に私をいい人

と勘違いしていた。
Iはサーファーで当時店はヤンキー7人サーファー2人の状態だった。
Iは店の食パンを一斤ぱくってサーフィンに持っていってた。
サーファーは見るからに貧乏そうだった。
ある日Iは寒い2月にC店のヤンキーたちをサーファーに誘われ、渋々

行くことになったのだった。
Iは高校生だったため海に行く車を確保するためにみんなをよいしょし

て車を確保したのだった。
伊勢に行ったのだが途中のドライブインではヤンキーは私たちだけで

サーファーと険悪なムードになりけんかになりそうだった。
海に着くとヤンキーは寒いながらも海にはいっていった。
みんななかなか立てなかった。

ヤンキーは私も含めて運動神経がいいとおもっているもんで、みんな

立てないことを信じられないことのように思っていた。
Iの作戦は大成功だった。
「うまくのせられたな。」と思った私もがんばってやってみるがなかな

か立てない。
私はIを観察してみた。
普段めがねをかけているIはめがねを取るとイケメンだということがわ

かった。
でもおかしいことに波が来るのを見てるんじゃなくて、横のサーファー

ばかり見ていた。
わたしは「Iはひょっとして波がみえないので横の人を見てるんじゃな

いか。」と思った。
私は横に並び、波が来ていないのにパトリングをする振りをした。
Iはおもいっきりパトリングをしていった。

信じられないおもしろさだった。
そんなことを2度繰り返すと、とうとうわかってしまい「〇さんたのむか

らやめてください。

体力なくなっちゃいますよ。」と言われた。
そして初のサーフィン体験が終わったのだった。
一月後、店はヤンキー2人、サーファー7人に変わっていた。
長くなったがIとはそんな出会いだった。
Iとは3回交渉し、最後に参加する事になるのだった。

でもIは現実的で、社員にはなったが私の得意のはったりや大きな

夢も真剣にはとらえてなかった。
人数的にはそろっていたが個人的に好感を持っていたので誘って

みたがだめでもいいと思っていた。
しかし、ただ1人のスーパーの未経験者が当社で最高にできる社

員になっていくことはそのときには想像もつかなかった。

のちに社員みんなで立ち上げ当時の話になり、みんなが私から

「みんなはいることは決まっていてあとは君だけだけども。」と言わ

れたことが発覚した。
その時私は言った。
「すんだこと忘れよ。」(^-^)

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流通業界に30数年携わってきた中で起こった事件をつづっています。10数年前に事件に巻き込まれた際、「真相さん」という2ちゃんねるのスレのなかで多くの支援者に支えられ、立ち直れたことに感謝の意を唱えます。
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