鮮魚の担当者のOさんが消息不明になってなんとかしなければ
いけないのですが本人から連絡がないので会社としてはどう動いて
いいかわかりませんでしたが、当時下に補助の従業員を入れていた
子がなんとか頑張ってくれたのでしばらくはなんとかなりました。
10日たった時点でもうこのままではいけないと思い、鮮魚の職人を
手配することにしたのでした。
そして半月ほどたってOさんから連絡が入ったのでした。
会うとOさんの言う事ではもう働けない事情のようでした。
何かの事情で借金をしていて困ってる様子が伺えました。
その時に私が鮮魚の支払いの小切手100万円を持っていること
に気がついたOさんは「回さないから1週間貸してくれないか。」
と言ってきました。
私は「出来るはずないだろ、それに私が保証している銀行借り入れも
払えるのか?」と聞いたのです。
Oさんは「それはなんとか払い続けるから助けて欲しい。」と言う
のでした。
私は開店当初厳しい時に頑張ってくれたからなんとかしたいと思い
ました。
実際に回さないと言うことを信じているわけではありませんが、心
の中では店がなんとかやって行けているのもOさんのおかげも
あるので別に回されてもいいと覚悟はしましたが最後まで信じて
あげたかったのも事実でした。
私はOさんに「もし回ってきたら供託するし、盗難の被害届も
だすぞ、それでよかったら持っていけ。」と言いました。
それから連絡がまた取れなくなりました。
弁護士にそのことを相談したら「回してこないだろ。」と言われたの
ですが実際は回ってきたのでした。
私は供託金を積み、供託したのですが、Oさんから受け取った
先が裁判をかけてきました。
私は「これは取られるな。」と思いましたが、簡単に渡すのはしゃく
なので裁判を2回伸ばして向こうに弁護士費用を使わせて終わらせ
ることにしたのでした。
私の中ではいつ潰れるかわからない店がなんとか持ったのは
Oさんの頑張りもあったのでよほどの事情があったと思い納得は
していました。
社員が「Oさんを信用していたのですか?。」と聞いてきたので
「従業員を社長が信用できなくてどうするんだ、俺の役目は従業員を
守ることだろ」と言ったことを今の覚えています。
厳しい時を一緒に乗り切ってきた仲間という意識が誰よりも強かった
のでした。
それほどオープン当初は厳しかったのでした。
でもそのことで会社を窮地に追いやればそれも私の責任です。
それぐらいは覚悟して行動しているのでした。
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