最初に店を作った当時は、店の前の通りはなにも
なく、ただその通りをひがしにいったところに世界
のパンYの大阪工場があり、そのため「Y通り」
と言われていました。
店ができたのは、Kパンの地域開発課の担当者
の協力が大きかったためいろんなパン屋さんが
入れてほしいと言ってきましたが、お店ができた
いきさつを話し、断ってきました。
しかし当時隣にYのパン屋さんがあったため、Y
だけが来ていませんでした。
2ヶ月ぐらいたって、隣がパン屋さんをやめブテ
ィックになったため、急にYパンのいろんな人が、
日に2~3度来るようになりました。
「工場を見学にいろんな人が来る中、その人た
ちが店を見て、「ここにも入ってるんですか」とき
かれるそうです。だからなんとか少しでもいいか
ら入れてほしいと言うことでした。
Yパンは断り続けているといろんな条件を出して
きました。
近いのですぐ持ってこれるため欠品がない。
返品を取るというものでした。
強気のYパンと言われていたので考えられない
条件でした。
そのとうりであれば、パンが余ったときに値引
きしなくてよく確実に利益が約束されるものでした。
でもKパンの担当者への義理のほうが私には重
く、入れませんでした。
市会議員からの誘い
そんなある日、地元の市会議員から南に飲みに
行かないかと誘われました。
私は「お酒は飲まない。」と言うと「じゃー食事で
も」と言われ、何かとつきあいがあったほうがい
いかと思い、行くことにしました。
ミナミで落ち合うと市会議員は、「食事でも行こう
か。おいしいところあるから。」とちょっと高級そう
なステーキハウスに連れて行かれました。
入ると市会議員が待ち合わせをしていた5人ぐら
いの人がおられました。
同じ席に着くと5人は、れいをして名刺を渡してき
ました。
みんなYパンのえらいさんがたでした。
みんな一生懸命に頭を下げ宜しくお願いします
とたのんできました。
わたしは、いつもどうりに会社ができたいきさつ
を話し、断りましたが、それでもなんどもたのん
できます。
市会議員もYパンの顧問をしていると言うことでした。
説明してもらちがあかないと思ったわたしは、
はっきりとひとこといいました。
「親にたのまれても変えれません。」
5人はしばらく固まっていました。
そして「これからも何度も寄せてもらいますので
気が変わったら宜しくお願いします。」
といい、食事を終えて別れました。
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