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事件の真実
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我が社の部長は占い師?

 

私と私の会社の部長は小、中、高、大学と同じ学校の

友達だった。
私は大学を卒業しても就職活動もしないでミナミの地下

のなんなんタウンの喫茶店でバイトをしていた。
部長はその上の電気屋で働いていた。
部長はラブホテルの電気工事の仕事を多くしていて、そ

の関係でよくラブホテルの割引券をくれたのだった。
当時は私も部長もラブホの探検隊でいろんなラブホに

行き、二人であうときは何処のラブホがいいとか、設備

はどうかとか、ラブホ談義を繰り広げたのだった。
そして、私がスーパーに働きに行き勉強していつかスー

パーを作るから一緒にしようと話し同じスーパーで働くこ

とになったのだった。
そしてその2年後、私はスーパーを作り、部長も誘った

のだった。
だから会社を作った当時でも二人はラブホテル研究家

だった。
私はラブホテルで部長の車を見つけることがよくあった。
でも部長に言わせればお互い様と言うことだったが私

は見つかることはなかった。

いつも部長に会わないように細心の注意をはらっていた

からだった。
私は部長の車を見つけた次の日には会社で社員みん

なで話をしているときに「昨日Fラブホテルの横を通った

ら、縦揺れしてるからおかしいなとおもって見てみると
部長の車が止まってた。

ホテルが揺れるほど屈伸運動したらあかんで。」というと
部長は「行ってない。」といいながら顔が赤くなっていて

みんなにはチョンバレであった。
しかし開き直ると「Fラブホに入ってる車なんかは表から

みえるわけないやろ。」
「自分も入ったと行ってるようなもんやで。」と言われた。
実際に見つけたことは2回ほどだが、私のかましで白状

して4~5回ほど見つけたことになっていた。

私が休みのある日、彼女をつれてラブホテルに行ったが

部長に見つかって話の種にされてはいけないので、S市

の主要幹線沿いでないところのラブホに入った。
とても見つけられるようなところじゃなかった。
車はホテルの人が停めてくれるようになっていた。
夕方の6時頃だった。
私の携帯に部長から電話が入ってきた。
苦情があったらしく部長は私に今どこにいるか聞いた。
私は「今神戸の方に店舗見学に来てるからとてもいけな

い。」といい電話を切った。
せっかくのプライベートの日までよばれたらたまらないと

おもい、楽しい日を過ごしてその日は終わった。
ラブホをでるときもホテルのかかりの人が車を出してくれ

ていて、その車に乗り慎重に周りをうかがいながら垂れ

幕をくぐってホテルを出た。

次の日
朝のあわただしい時間を過ぎて、落ち着いたところでみ

んなで台所でお茶を飲んでいた。
私は部長に昨日の苦情はどうなったか聞いたが大した

ことはなかったと言うことだった。
すると突然部長は「昨日電話したとき有線かかってた

けどラブホにいたんじゃないのか?」
と言ってきた。
「そんなことないよ。」とわたしはいった。
あのときは有線を切ってから電話にでた。

そんなへまはしてない。でも何故・・・・・・
私は少し動揺していた。
部長はまた「神戸だったら030じゃなく040になるやろ。」

といった。
(当時の携帯は距離が離れると040でかけないといけな

い。)・・・だったとおもう。
「ええ・・そうか・・なにかのまちがいとちがう。神戸でも0

30やろ。」私は明らかに動揺していた。
部長は占ってるような仕草をして「S市のほうに感じる物

がある。」といった。
私は部長は占い師か。超能力者か。ヨミか。メフィストか

とかなり動揺した。
「〇〇ホテルがうつってる。」と言った。
私は何故知ってる。完璧なはずなのに・・・・・
私は最後までしらを切ったが最後に部長は
「〇〇ラブホテル、お客さんの車でいっぱいになったみた

いで、社長の車表に掘りだされてたよ。」と言われた。
完璧に私の負けだった。

〇〇ホテルの通りは部長の帰り道の近道で、車も少な

いのでいつもその道を使ってかえると言うことを知った

のはそのあとだった。

みなさん。どんな不利な状況でも決して認めてはいけ

ませんよ。
たとえ浮気の現場を押さえられても、「なんだーこれは

、此処は何処?、私は誰?
と記憶のない振りをしましょう。

気を付けよう。暗い通りと部長の帰り道。

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オープンその後
地元の反対運動を乗り切り、当初の支払いの危機も

乗り切る。
3ヶ月後の十二指腸潰瘍で出血多量。

重体で歩けなくなるも入院したら支払いがなくなって

神経を使わないので、すぐよくなって退院?(実際は

3ヶ月入院のはずが病院を夜抜け出して店に帰り食

べ物をあさっていたため1ヶ月で病院を追い出された)
多量の輸血によるエイズの危機も逃れたのだった。
輸血でエイズになってお客が来なくなり店がつぶれ

ると社員が楽しそうに?騒いでいた。
入院時には弟に協力してもらい、業者の支払いがわ

かる支払い表を組みそのことにより、社員が仕入れ

をあわすのに毎日遅くまで仕事にかかっていたのが

すぐに帰えれるようになる。
退院後、市内でマンションを借り一人暮らしをした。
東部市場の途中にあったのでI社員の仕入れの帰り

に乗せてもらって店に出勤したがI社員は朝早いため、

夜も遅い私にとっては苦痛だった。
だから私は朝は走って店に行くようになった。実は私は

小学校2年の時から10年間毎朝走り続けたマラソン

少年だった。
しかし、距離があったため後少しで店というところで途

中の電話ボックスから電話してI社員に迎えに来てもら

った。
朝は品出しで忙しいので多分迷惑な話だっただろう。
そんなことは一週間も続かなかった。
そしてI社員にたのんでマウンテンバイクを買ってきても

らった。
でも店から帰りのある夜、路肩ですべって転けた。
靴をわっかにはめていて、はずせなくてマウンテンバイ

クごとバタッと・・
横に止まっていた車の中で男3人が笑い転げていたの

でかっこわるいのでそのままじっと死んだ振りをして車

が行きすぎるのを待った。
死んでいないが、気持ちは恥ずかしくて死んでいた。

時期的に寒くなってきたのでやめた。
その後は3回タクシーで店に行った。

完全にくじけていた。
そんな楽しい日々?を過ごした後、我慢できなくなり

やっと車を買った。
当然ローン。

お金がでていくのは怖いので当然のことだった。
スープラ3000。(フジツボのゴールドマフラー70π)
でも貧乏性か、マンションの近くに借りたガレージが

2万5千円は許せなかった。
だからよく近くのスナックの客がガレージの前に車を

とめて入れないときは最初は丁寧にスナックに車をど

けるようにたのみに行っていたが、同じ事が何度も
あるのにスナックが全然気を付けてくれないのでワイ

パー折りの刑や車の上に路肩に植えてある植木で

盆栽?の刑にしてやった。
このころはまだ、会社の経営者というよりも、やんちゃ

な人というかんじだった。
頭もちょっとパンチがかっていて今ではとても考えられ

なかった。
ちなみにこの何ヶ月後かの妹の結婚式に長年連れ添

ったちんぴら頭をやめることになる。

心臓が口からでそう
このように落ち着いた日々を過ごすようになっていた。
まいにち一生懸命?仕事をしてその後みんなでよく飲

みに行き(私はお勘定係)このころが一番楽しかったか

も知れなかった。
毎日めいっぱい仕事があるので、酒も飲まない、たば

こも吸わない、女には吸われない?
そんな私にとって唯一の幸せは深夜2時、帰りに車で

飛ばすことだった。
だから飛ばすポイントは309号線、大和川をわたる橋

の上だった。
そこの測道は道路と遮断されていて、人のわたれない

ところなのでいつも人に言えない速度で走っていた。
雨が降っていたが上に高速道路が通っているためグリ

ップはしっかりしていた。
いつもどうりのスピードでわたりきり、見渡すかじり車は

一台もなく二つ向こうの信号までいつもどうり青だった。
スピードが乗ったまま惰性で走っていこうと思ったとき、

なんと道路のコンクリート壁を乗り越えて黒い傘が飛

んできた・・・・
と思ったら、雨が降っていることもあったのだろうか、

近回りしようとばばあが壁を乗り越え、ショートカットの

ため傘を差したまま道路を横切ろうとしたのだった。

「ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~」
「こんなところ男も乗り越えないし想像もつかなかった」ww

私はブレーキを踏んで回避しようとした。
アンチロックブレーキによりタイヤが止まったり動いたり

するのが感じた。
半分のタイヤが地に着いてないような感触があった。
ひっくり返りそうになっていた。
車がばばあを避ける様子がまるでスローモーションの

ように見えた。
頭の中に、自分が赤ん坊から成長していく様子が走

馬燈のように流れた。
気がつけば無事ばばあ(常識破りなのであえてばば

あ)をやりそこね?バックミラーでばばあを見ていた。
多分ばばあはあまりの車の速さに魂を抜かれたであ

ろう。
私はすぐ車を広くなった道路の端に止めた。
体の毛穴が全快してるのがわかった。冷や汗が思いっき

り噴き出した。
口からは心臓が出かかっていた。
それからばばあの苦難も乗り越えた私は、唯一の楽し

みも失ったのだった。

今回は店にはあまり関係ありませんでしたが・・・

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M病院の食堂から納品してほしいと電話があった。
Aさんがいるのですこし気が引けたが、私は早速商談に

M病院に行った。
M病院に行くと中学の同級生が働いていた。
まじめだが融通の利かない堅物の男だった。
わかってはいるが独身かと聞くとそうだと言った。
紹介してくれと言われたが私は「病院だったらたくさん

いるだろ」ときいた。
「なかなか話する機会もないし」と言うことだったが、

きみがかわってるからだ」
と言ってやりたかったが言えなかった。
注文の量は少なそうだが友達の頼みなので引き受けた。
毎朝少ないが配達することになった。

配達が始まった。
朝はみんな忙しいので暇な私が社員に代わって配達に

行くことも多かった。
私はいつも愛車で配達に行っていた。
そんなある日、量としてはいつもより多かった。
入り口は病院の横に勝手口があり、私は車を駐車場に

止め、そこから肩に担いで勝手口を入っていった。
入り口を入ったところで、私はよろけて可動式のベットの

ようなものの上にのしかかってしまった。
ベットの上には荷物のような物が置いてあってその上に

シーツがかぶっていた。
わたしはその安定の悪い物の上にいったん荷物を置き、

持ち直してまた荷物を担ぎ食堂に持っていった。
偶然Aさんと会ったが、私は頭をさげて挨拶するだけで

話はしなかった。
気まずい雰囲気だった。
そして食堂をでて勝手口から帰ろうとすると、その通路

をたくさんの看護婦さんが両側に並んでいた。
「私の見送り。」・・・・そんなはずないか。と思いながら

一度は通るのを躊躇したがそこしか通るところがないの

でその間を恥ずかしがりながら通ると、後ろから何かが

来た。
見てみるとさっきの可動式のベットの荷物にシーツをか

ぶせた物だった。
でも周りの看護婦は頭を下げ目を伏せているようだった。
「俺は王様か」と思い少しいい気になりながら、でも後ろ

が気になってもう一度振り返った。
よく見ると荷物と思っていた物は人の死体だった。
私は死体様に配達の荷物を載せたり、もたれかかった

りしたのだった。
柔らかい感じがしなくて、何か堅い棒のような感じだっ

たことを思い出し、くわばらくわばらとおもい、お経を唱

える?私だった。
みんなが知らない間に勝手口から死体は運ばれてい

くんだなと思う私であった。
病院で看護婦が並んでいたらそれは死体の見送りだ

と言うことを知ってる人は少ない。

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考えられない店内でのナンパ
それは確か、店(会社)をつくった次の年の2月ぐらいの事だった。
事務所でモニターを見ていると、見たことのある女性が買い物をし

ていた。
以前十二指腸潰瘍で入院しているとき、お世話になった看護婦さ

んだった。
私は売り場に行き声をかけた。
「夕飯の用意ですか。この近くなんですか。」ときいた。
その看護婦は店の裏を入っていったところのアパートを借りている

と言うことだった。
私は「ごちそうになりに行こうかな。」と言うと、「来てください。」と

言われた。
でも近所の目が気になるのでやばいとおもい「またそのうちにご

ちそうになりに行きます。」と言ってその場を離れた。
「やっぱり近所は人目に触れるしやばすぎるよな、もっと離れてい

たらよかったのに。」というおもいとちょっとタイプじゃないな、という

おもいがあった。
また事務所でモニターを見ていた。するとまた、知ってるA看護婦

さんが買い物をしていた。
A看護婦は私が個室で入院をしているときに女ともだちとベットで

いちゃいちゃしていたら「ホテルじゃありませんよ。」と冷やかした

看護婦だった。
私は「よくも冷やかしてくれたな、いつか復讐してやる。むふふ。」

と思っていた。
私はA看護婦に「久しぶりです。夕飯ですか・・食事でもしに行き

ませんか。」と誘った。
「ほんとですか。うれしい(^-^) でも夕飯の用意買ったんですが・・」

と言ったので私は「返しておきますから。」といった。
利益に関わることなので本来はあってはいけないんですが、まっ、

会社の利益より個人の利益?を優先。役得としておきましょう。
それに病院で冷やかされた復讐も忘れていません。
でも、社員がしても、大目に見るぐらいの度量は持ってるつもりで

すが・・。
A看護婦は「友達も一緒でもいいですか。」と言ったので私は「い

いですよ。」と言うと「じゃー7時に店の前に来ます。」といって帰っ

ていった。
私はここで一つ問題があった。部長は昔から私のことを知っていて

やばいので口止めの意味もあり、「一緒に行こう。」と誘ったが弱み

を握られるのを恐れて断られたのだった。
「まあいいか。」わたしは観念して時間を待った。
時間になって店の前に行くと女の人が4人いた。みんな20才前後

だった。

憑くとは・・・・
看護婦さん4人と岸和田の方のインディアンサマーというレストラン

に行った。
話を聞くと看護婦さんは、みんな九州のほうから来てると言うことだ

った。
看護婦の話を聞いていると1人は見たことがなかったので、「見たこ

とがないんだけどいたかな。」と尋ねた。


その子が言う前にA看護婦が「手術にたちあうのが専門の看護婦

だから。」と言った。
「やっぱり」、言ってはわるいがその子は独特の怖い感じをうけた。
私は、学生のときに死体沈めのバイトがないかよく病院に電話した

ことや、入院してるとき、よく病院にはお化けがでるっていうから期

待してたけどでなかったことなどの話をした。
お化けがでる話は、肯定も否定もしなかったが聞けなかった。
しばらくして1人の看護婦が「私この頃よくつくねん。」と言った。
もう1人の看護婦は「わたしは今のところ大丈夫だけど・・・」と言った。
そしてもう1人は「一度つき出したら続くからね。」と言った。
わたしは何のことかわからないので「つくってどういうこと・・・」ときいた。
A看護婦が「宿直のときに患者が死んだら宿直の時に続いてよく死

ぬの」と言った。
私は寒くなった。


患者が結構死んでるんだというと
看護婦の1人がそんなこともないけど・・・と言った。
私は怖くなってきたので送っていった。


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会社では納品業者に対し、納品時間の遅れは一度は許しても

二度目はどんな理由があっても取引を停止する事になっていた。
そして取引を停止した業者は、もう一度取引をすることはなかっ

た。
量販的な商品が欠品する事は、お客様に迷惑がかかるし、その

ことで会社の信用もなくすからだ。
会社創業時はどうなるかわからない会社だったので、そう言うと

きに納品してくれた業者は大事にし、けっして併売(同じ品目の

業者を2社以上いれること)することはなかった。

会社を創業した当時、上記のことがあって取引を停止したA豆腐

屋があった。
我が社が大きくなるにつけ、A社は何度も担当者にアタックしてい

たが、他の業者の見せしめのためにもいれるわけにはいかなかっ

た。
しかし店舗が8店舗になったときに店舗レベルの引き上げのため

、よりおいしい商品をというコンセプトから見直しが行われた。
場合によっては併売も認めていこうということもあった。

どうしても見直しに参加させたいというI店長の申し出により、異例

ではあるがA社も参加し、その結果A社も再度納品ができるように

なった。
そのことによりA社からぜひ接待させてほしいと申し出があった。

一応接待は禁止なので断っていたが、トラブルがあり納品を禁止

されたのにもう一度取り引きできるようになったことで、どうしても

うけてほしいという再三の申し出に接待を受けることにした。

接待は大阪北の、テレビでおなじみの神田川の店で行われた。
A社は2人、こちらは私とI店長、部長の3人だった。
2階の部屋に通され、神田川さんが直接もてなしてくれた。
A社の1人が神田川さんの店で豆腐を使ってもらっていてテレビで

も言ってもらっているといっていた。

また神田川さんについて「カツラだという噂があるが、そのことを神

田川さんにいうと引っ張ってみて見ろと言われ、引っ張ったが取れ

なかった。

だから噂は嘘ですよ、でもテレビに出るときは乱れないように一時

間ぐらいセットして固めているのでそう見えるんですよ。」といった。
料理はおいしかったが我が社のI店長、お酒が回ってきたのか神

田川さんにからみはじめた。
「僕は地元では大和川と呼ばれるほど料理がうまいんですよ。・・・・」
なんと神田川さんに、料理についてうんちくをたれだしたのだ。
私は大丈夫かなと思い、しばらく聞いていたが徐々に神田川さん

の顔が引きつっていくようにおもえた。
さすがI店長。言いにくいことをがんがん聞いていた。
何故、これだけうまいのにテレビでは負けるのかとか、素材はあら

かじめホントは聞いているんでしょうとか、聞いてるこちらがひやひ

やした。
料理の哲人の話題では、哲人側にはあらかじめ素材が何かのヒ

ントがでているとか言うことも神田川さんは言っていた。
I店長神田川さんの髪の毛も引っ張っていた。
さすがI店長。酔えば怖い物なしだった。

そのあとは神田川さんと一緒にクラブでまたのんだ。
神田川さんが私の名前を入れた四季の歌を歌ってくれた。
でもI店長、男前で人気もありますが歌だけは音痴で、そのことだ

けが他の社員のつっこめるところで、みんなは神田川さんとも渡り

合う何も恐れぬI店長もカラオケだけは怖いようで・・

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  • ABOUT
流通業界に30数年携わってきた中で起こった事件をつづっています。10数年前に事件に巻き込まれた際、「真相さん」という2ちゃんねるのスレのなかで多くの支援者に支えられ、立ち直れたことに感謝の意を唱えます。
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