google-site-verification: googleb8e10bb92976c59f.html 事件の真実 忍者ブログ
Admin*Write*Comment
事件の真実
[32]  [33]  [34]  [35]  [36]  [37]  [38]  [39]  [40]  [41
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

それはまさに嵐のような出来事でした。
たいがいの大きな出来事はM本店で起こるのですがこの

事件もまたM本店でおこったのです。

たしか冬が近い季節だったと思います。
なにごともなく、いつもと同じ一日を過ごすと思われたお昼

前に、パートさんからインターホンで急いで売り場に来てほ

しいという連絡が事務所にはいりました。
I店長と私が売り場に行くと、パン売り場の陳列棚に置いて

ある瓶のジャムが開けられて、中身がちょうど指をがばっと

入れて人舐めされた跡がありました。
「なんだこれは。」おもわず何故か悪寒が走りました。
パートさんは「きっと子供が食べたんでしょう」と言ってかた

ずけました。
I店長と私は事務所に上がりましたが、わたしは「あれは子

供じゃないぞ。食べられたジャムは棚の一番上だし、瓶の

ジャムのふたは子供ではあけられないんじゃないか。」
I店長も「頭がおかしいひとですかね。」と言った。
しばらくするとまた売り場からインターホンで来てくれと連絡

があった。
言ってみるとパンも袋の中身だけちぎったようになっていた。
まだまだ被害があるなと思い、パートさんによって売り場を

総点検した。
パートさんぜい員に緊張が走った。お客さんの目にふれれ

ばイメージが悪くなるのでその前にすべてを探し出す必要

があった。
しばらくするとでてくるでてくる、袋の中身を少し食べたウイ

ンナー、包装を破いて食べた漬け物、この時点で子供じゃ

ないことは確実。


そして飲みかけの缶ジュースに、饅頭のくず餅、でも最後に

見つかった物はなんとも恐ろしい物だった。
なんと犯人はマスタードの瓶を開けて、なめていたのだ。

のかと言う話題でもりあがったが、最後に私は言った。
「たのむから盗んでくれ、その方がいくらかましだ。」

その時に限ってビデオをセットするのを忘れていたので犯人

はわからずじまいだった。



店長と私は、犯人は馬鹿なのか、それともマスタード好きな

変わり者だったのかと思うのだった。

拍手[0回]

PR

この時期はまだ店舗が2店舗でポスレジでの会員シス

テムが全国でも増えてきて、我が社でも東京での展示

会でこのシステムを見て私はわりと新しい物好きでその

場で契約をし、全国で5番目に会員システムが導入され

たのでした。

当時は会員の募集は面倒なので毎月月末に行っていま

した。
その日は月末ではなく会員の募集日には当てはまりま

せんでした。
夕方、店も忙しいピークを過ぎ落ち着いていました。
わたしはいつもどうりモニターで店の状況を見ていると

誰が見ても美人で若いお客さんが入ってきました。
「おおっ」あまりの美人なので私は名前を知りたくなり

会員の入会用紙を持って売り場に行きました。
なんとそこには部長がいてそのお客さんに会員の入会を

勧めているではありませんか。
私は「部長もなかなかやるな。」と思い部長に用紙をわ

たしました。
そのお客さんは近くに新しくできた住宅に引っ越してき

た娘さんでした。
その日はじめて買い物に来たと言うことでした。
私と部長はそのお客さんを「ビーバーハウス」と名付け

ました。
次の日も買い物に来たので普通でしたら会員証を作る

のに一週間はかかるのですがすぐに作っていたので二

人でわたしにいきました。
でも私たち二人の行動を笑みを浮かべるようなそぶりで

お客さんにも人気のあるI社員が見ていました。
I社員は次の日にはもうその人とつきあっていました。
私と部長は「あいつには勝てん」と目を見合って言いま

した。

その日から私と部長が少しI社員に冷たくなったわけをI

社員は知らないでしょう。

拍手[0回]

これはまさしく出店反対運動の真っ最中の出来事だった。
(17)~(19)で書いているように、この時期は出店の反

対運動の真っ最中でした。
でも、みんなにはそのことが大きな事件に思えていたが、

私はこのときには資金不足というもっと大きな問題を抱え

ていて、頭の中では8割方そのことを考えていたんです。
もちろん出店がのびれば資金は不足しますが、2年前か

らお金があまりなくても成功する方法を考えて、実行して

きたわけですから難波花月の名付けたいきさつと一緒で
「花と咲くか、月と欠けるか」。まさしく、いちかばちかのこ

とだったんです。

株式会社の登記については当時は500万円から株式会

社ができました。
しかし、これからスーパーを開店するのに倉庫を借りる保

証金を払った後はその金もありませんでした。
肉屋さんをテナントに入れた保証金の500万円や、納品

業者の協賛金500万円が入ることになっていましたが、

それは店舗ができあがってからでどうしてそこまで持って
行くかが問題でした。
そのことを友達が働いている会計事務所の所長にいうと、

500万円の保管証明が
上がる間、代わりに銀行に500万円を入れてくれたので

会社は作ることができました。
その時期は景気がいい時代でしたので借り入れもたいが

いは通りました。
会計事務所の所長の力で当座を開いたS都市銀行も当

初は貸しましょうと言っていました
が実際は借り入れは通りませんでした。
銀行や信用金庫に勤めた友達にも相談し、借り入れを申

し込みましたがやっぱり通りませんでした。
店舗工事をしている業者には開店後に支払うことになって

いたので、何とか開店後の売り上げで払えると思っていま

したが、そこまで持っていけるかがかなり不安でした。
店舗の冷凍機器は当初入れることになっていた会社がリ

ースが通らなかったため進めなくなりました。
それでも担当者は「年末までに何とかなるなら、自分たち

がなんとか協力して会社内で資金をまわして協力します。」

と言ってくれましたが年末までに資金を作る自信がないので
迷惑かけると思い、お願いしますとはいえませんでした。
半分は中古の200万円(2年分割)でいれました。そしてあ

との半分の冷凍機器は地域の業者に「払えないときは倉庫

を借りた保証金の返りで払うから」と言って協力してもらった。
冷凍機器が入った夜は、これで何とか店は開けられると思

い、出店の反対派が夜に冷凍機器を壊しにきてはいけない

ので店舗の真ん中で段ボールをひいて一晩1人で見張りを
した。

これで店を開けることはできるとおもい、うれしくて涙がぼろ

ぼろこぼれた。
市場の反対運動はあったが、なんとかオープンはできるとい

うところまではきたが、資金不足を何とかしなければいけなか

った。

商工会議所とは・・・
私が大学生だったときに地域開発のゼミの先生が「商工会議

所は商工者が借り入れなどを起こすときに窓口になってると言

うことみたいだが実際にどうなのか調べた人があれば教えてほ

しい。」といわれたことが耳に残っていて、だめで元々と思い行

ってみた。
担当者が詳しく説明してくれ、商工会議所の会員になって半年

が経つと商工会議所が窓口になっている借り入れをするときは

推薦してくれるというものだった。
私は正直に「今のままでは店を開店するまでにつぶれてしまう

かも知れません。

どうせつぶれるのであっても開店してからつぶれたいので、今

会員になるから借り入れを起こしてほしい」とたのんだ。
担当者も気持ちをくんでくれて、なんの実績もない私にすぐに

借り入れが通り400万円借りることができた。
まさしく天の助けだった。
それ以降、いろんな形で商工会には協力してもらいました。

1年後に商工会議所が建て替えることになり担当者が寄付を

募っていた。
会社は1年目は1600万円の赤字だったが40万円寄付をした。
半分は部署にしたので建て替えに関しては20万円と言うこと

になったが商工会議所には、寄付した大口(そんな大口ではな

いんですが)のプレートがのこっている。

 

拍手[0回]

市役所にて

私はM市役所の開発課へ行った。
奥へ通されたとき、職員はカーテンを閉めた。開発課もどうい

う内容かは覚悟していたようだった。
開発課のメンバー4~5人と話し合いが始まった。
私は、いままでがまんして話し合いに応じてきたがもう限界

に来ていることを話した。
しかし、私としては話し合いが終わるまではオープンしない

と約束しているのでうそつきと言われるのは、たとえ市場の

引き延ばし、つぶす手段としても耐えられないので、一度出

店は取りやめたいと申し出た。
そして200平米以内の市条例にかからない店舗でオープン

したいと申し出た。
開発課はその申し出を聞き「出店の取りやめはしない方がい

い。

オープンするなら今のままでした方がいい」と言った。
出店の申請を取りやめてから出店すると、こちらにとっては

不都合な事態があることを案に知らせてくれているようだっ

た。
そして「開発課としては、これ以上話し合いをしてくれとかは

言わないので一つだけお願いがしたい。

オープン前日は近隣の市場などから私どもにオープンをやめ

るように説得しろといわれると思う。その時には私たちを中に

入れてほしい。

あなた方も決して話し合いをする気はないと思うし、私たちも

そのきはないのでとりあえず中にいれてもらえば30分ぐらい

中でじっとさせてほしい。
そうさせてもらえれば、あとはでていくのでそのことだけはお

願いしたい。
そしてこのことは秘密にしてほしい。もしわかればみんな首が

飛ぶ」言われた。
私は了承し、市役所を後にした。


開店前夜
数十人の近隣の市場や商店主が店の前に集まり、騒いでい

た。
隣のパン屋さんがみんなに飲み物をくばり盛り上がっている。
その中、以前私が話し合いをしてほしいと言ったが中に入れて

くれなかった店長がみんなに「お前が応じなかったから話し合

いがなくなった」とせめられていた。
その時にわたしあてに電話が入った。
私がでると名前も言わず「私は一市民だ。話し合いが終わって

ないのに何故開けるんだ。
みんな決まった器の中で商売をしてるんだから、話し合いをする

のはあたりまえだ。」と言ってきた。
私は「器は決まっててもあんたのような営業努力が足りない人

がいるから、お客さんがみんな駅のほうまで流れていくんじゃな

いですか。

それに貴方は酒屋の○○さんでしょ。何回も話し合いの説明書

を配って回ったのでわかりますよ。

自分の名前も言えないような人間が講釈たれんな。

俺はちゃんと名前さえ言えばいくらでも話はしてやる。あなた方

が姑息なことしないかぎりはね。」と言って電話を切った。
8時から9時ぐらいだったか、市役所の開発課の人が「中に入れ

て話をさせてほしい」と言った。
私は約束どうり、中に入ってもらった。
そして30ぷんすると約束どうりに中に入れてくれたことを感謝し

ているといい、でていった。

オープン
オープン当日も店の前で市場の人たちによって反対のビラが配

られた。
店内でどんな妨害があっても私たちは負けないと言うテープを流

した。
いままで立ち会ったオープンではどんな小さな店でも400~500

万円の売り上げはあったので170万ちょっとの売り上げはいまま

でで最低の売り上げだったが、店をとりあえずはオープンできた喜

びで、自分の中ではたとえつぶれても、開けないでつぶれるので

はないことがおおきな喜びだった。

開店後も、市場の人たちは店の前で「この店は認めていない違反

店です。

M市役所」とか「この店は米の無許可店です。」「市の条例違反店

です。」などのビラをお客さんに渡したり自転車のかごに入れたり、

店の反対側の歩道からスピーカーで呼びかけたりされました。
すべての納品業者に「あの店に納品するなら市場関係は取り引き

しない。」という妨害もありましたが、かえって納品業者は「最後ま

で応援する。」といってがんばってくれました。
まけないでがんばってる私たちを見てお客さんも「私らは安かった

ええんや、反対する暇があれば自分の市場のほうでがんばったら

いいのに。

応援するからがんばり。」といってくれました。
さすがに反対してる市場の人も、他の地域から呼ばれていた市場

の人は「自分たちの商売がある。」といって来なくなり、近所の市場

の人もだんだん少なくなっていきました。
反対も一週間ぐらいで終わりました。

後に売り場を広げるために市に相談に行ったが開発課は「もともと認

めていない店舗ですから広げても関係ありません。」と言って少し笑

みを浮かべていた。

拍手[0回]

当時の出店状況
店の売り場面積によっては市によりいろいろ決まりがあり、

500平米以上は大型店舗法により管轄が府になるわけで

すが、大型店舗法だと申請を通すのに確か最短でも9ヶ月

かかり(抜け道はあるのですが)、通常は500平米以内の

店舗を作るわけです。

それでも200平米以上(市によって異なる)は市条例により

市の要綱(強制的な抑止力はない)にしたがうため、200平

米以上のスーパーの出店に対しては市が近隣の市場との調

整に時間がかかっていた。
調整によりなかなか出店できないスーパーや出店をあきらめ

るスーパーもあったほどだった。
だから当時は200平米以内の出店が多かったのである。

私は1号店をM市に出店する際に、市条例により市場との話

し合いをするのを避けるため200平米以内の売り場面積だっ

た。
しかし近隣の市場の代表であるU氏が、出店するのに少しで

も店頭に販売物を出しただけで200平米をこえるんなら(催事

で常時でなければ問題はない)、話し合いを持ってすっきり出店
したらどうだという申し出があった。
私はそれもそうだとおもい、近隣とも仲良くしていかなければ

いけないと思い話し合いをする意向をM市の地域振興課に申

し出た。
しかし地域振興課は売り場が200平米を越えないと調整する

物件にはならないと言った。
話し合いをしてすっきり出店したいだけだといったが、それだけ

の理由では受理できないと
言うことで、売り場面積を270平米で申請することになった。


市場と近隣店舗との話し合い(1)

売り場を270平米でM市に申請し、近隣の商店や市場と話し

合いをすることになった。
市の開発課も立ち会い第一回目の話し合い。
近隣の市場の代表U氏から、「当初は200平米未満だったの

に、いざ話し合いをする事になったら270平米とはおかしいん

じゃないか。」と言われた。
私は話し合いをするのに200平米を越えないといけないので、

店頭で催事したときのこともいれて270平米にしたと説明した。
U氏は「今も工事をしてるんじゃないか。話し合いがついていな

いのに工事をすること自体おかしいんじゃないか。

話し合いに応じている我々の気持ちを逆撫でするようなことして

いいのか。」と言われ、話し合いがつくまで工事はしないと約束

しろと言われる。
私は「いったん工事は中止し、話し合いを優先する」と言った。
U氏は建物を倉庫から店にする用途変更届けを府庁にださない

といけないことや、いくらで場所を借りてるかとかオープンの予

定日などを聞いてきた。
私は80万円で借りていることを言うと、市場のみんなが「素人

がそんな家賃でやっていけるわけない。」とか「家主にだまされ

てる」とかめいめい、すきなことを言われ、今日のところはここま

でと言われた。
私はまた明日話し合いをしてくれと頭をさげたのんだ。
長引くと資金がなくなり終わってしまうとのおもいから、涙目に

なっていた。
Aショッピングセンターの代表が「明日も集まってあげようや」と

言ってくれたが、他の人は「仕事もあるのにそんなことできるか!

勝手なこと言うな」と罵倒された。

用途変更
私は用途変更をするために府庁に行った。
さすがに府庁。たくさんのひとがいて、大きくてどこにいけばよい

かなかなかわからなかった。
いろいろ聞いてやっと場所が分かり、用途変更をする課にたどり

着いた。
すると何も言わないのにその課の人が、「Oさんですね」と言って

きた。
はじめていく場所で全然知らない人に、それにたくさんの人が出

入りしているのに何故私を知っていたのか、わたしは驚いた。
府庁の担当者の話を聞くと、用途変更はするのに手続きでたし

か2~3万かかると言うことだった。
でも、話し合いで開店が遅れることを考えると2~3万でもきつか

った。
用途変更をしないでやってるところも多いとのことだったので話を

聞いて帰った。

2回目の話し合い
2回目の話し合いを持った。
私とY社員二人で話し合いにのぞんだ。
どの地域まで「話し合いがあるので来てほしい」と言うことを言って

まわったか聞かれたので説明したが、「ある店のお菓子屋さんが

来てないんじゃないか」と市場の代表のU氏が言った。
何処まで回ったらいいかを私は事前にU氏に聞き、U氏はここまで

回ったら誰も文句は言わないだろうと言ったところはすべて回った

が、そのU氏がまさかそんなことを言うとは思っていなかった。
U氏はこれでは話し合いにはならないといい、みんなに帰ろうと呼

びかけ、話し合いは終わった。

このままでは引き延ばされて話し合いは永遠に終わらないと思っ

た私はM市役所の開発課に相談した。
開発課は、M市にあるMショッピングセンターに全国市場連合の

副会長がいるので中に入ってもらうので今度はうまくいくでしょう

と言った。
私は開発課の言うことを信じて、3回目の話し合いの場にのぞんだ。

3回目の話し合い
M市の開発課に場所を確保してもらい、3回目の話し合いが始まっ

た。
私の売り上げ予想の資料には一日の予想売り上げは100万円

で設定されていた。
何故100万になるかを聞かれ説明した。
売り上げの各部門、肉、魚、野菜、日配、食品、雑貨など、何故

そう言う比率になるかなど実際にはオープンしないとわからない

あくまで予想なのに、そんなどうでもいい質問ばかりをされて無

駄に時間が過ぎていった。
年間の休業日数のこと、営業時間のこと、それぞれを周りの市

場たちの都合のいい日にしろというような事を言われた。

私はどうしてもオープンしたいのでできる限り従うことを約束した

が、それでも納得いかないことを言われた。
私はこのままでは全然進まないので、話し合いがつくまではオ

ープンしないので工事をさせてほしいと提案し、なんとか了承し

てもらった。
その場にいた市場の代表のU氏は、「陳列台の方向の問題も

次の話し合いでやらないといけない」と言った。
私は「陳列台の向きなどは店の問題なのにこいつは馬鹿か」

とおもい、そこまでしてオープンをのばしたいのかと思った。
話は決着を見ないで次回と言うことになった。
私はがまんも限界に近かったが、何とかもうすこしがんばろう

と思った。
開けてしまえと言う声も多かったが、我慢してる私の姿を社員

は知っていて「一番オープンしたいのは社長だ。

社長が我慢してるのだからみんなも我慢しよう」と、社員も業

者に説明してくれていた。

私は限界になる日にオープン日を設定していてそのチラシが

できあがっていた。
チラシを作るのには時間がかかるので、どうなるかはわから

ないがチラシだけは見切り発進していた。
事務所でチラシ業者をまじえ、みんなでチラシを見ているとそ

こに市場のU氏が現れた。
なんとチラシ業者はその人が誰か知らないのでそのチラシを

見せて話をし、U氏がそのチラシをわけてくれと業者にいい、

なんと業者はわたしたのだった。
最悪だと思ったが、私にすればその日にオープンできそうにな

いので、それを理由にチラシ業者にその分のチラシ代は払わ

なくてよくなり、ラッキーとなった。
その場で私はU氏に話し合いが終わっていないのでその日に

オープンはしませんと言った。
しかし、U氏の市場はその日にかなり安い売り出しのチラシを

入れて市場は私が約束を無視しオープンすると思っていたよう

だった。

4回目の話し合い
市の開発課とまた話し合った。
開発課は「今度は大丈夫でしょう。市場連合のIさんも今度は

話を付けると言ってくれてますと言うことだった。
そして4回目の話し合いに望んだが、やはり話は進まなかった。
U氏の市場の店長が「話し合いがつくまで出店しないと言う約

束をもう一度はっきりとみんなのまえでしてほしい。

そうでないとこの前のようにチラシができていて無視してオープ

ンするかも知れないという不安から、無理して売り出しをして

損がでる」ということだった。
私は「そっちが勝手に思いこんでやったことなのによく言う」と思

ったが、約束した。
しかし、その日も話し合いはつかなかった。

私は、次の日にU氏の市場に行き、また話し合いをしてほしいと

いう趣旨の用紙を配りに行くと店長がそんな用紙は受け取れな

いと言われた。
私は、とりあえずみんなに配らせてくれと言ったが、店長は店に

は入ってもらっては困る。
俺が店に入るのを認めないと言われた。
私は事務所に帰った。
事務所に「そのうちに引き延ばせばつぶれるだろう」と市場連

合のI氏が言ってるという噂も入ってきた。

私は強行でオープンする決意をした。

拍手[0回]

  • ABOUT
流通業界に30数年携わってきた中で起こった事件をつづっています。10数年前に事件に巻き込まれた際、「真相さん」という2ちゃんねるのスレのなかで多くの支援者に支えられ、立ち直れたことに感謝の意を唱えます。
Copyright © 事件の真実 All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
Graphics By R-C free web graphics*material by 工房たま素材館*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]